京都学生演劇祭2016



京都学生演劇祭2016、無事閉幕いたしました!!
ご来場いただいた皆様、誠にありがとうございました。

結果発表

京都学生演劇祭賞

幻灯劇場

審査員特別賞

劇団なかゆび

出演団体推薦枠

劇団西一風

上記3団体が、来年2月にロームシアター京都で行われる第2回全国学生演劇祭に出場します!

観客投票 採点結果

1位 幻灯劇場 8.07点(-0.2点)
2位 劇団西一風 7.51点
3位 雪のビ熱 7.31点
4位 劇団月光斜 7.21点
5位 劇団べれゑ 6.52点(-0.3点)
6位 スーパーマツモト2 6.38点
7位 青月ごっこ 6.36点(-0.1点)
8位 遊自由不断、6.08点
9位 劇団速度 5.93点
10位 劇団月光斜TeamBKC 5.92点
11位 劇団未踏座 5.88点
12位 劇団なかゆび 5.84点
13位 劇団紫 5.09点
14位 ソリューションにQ 4.23点(-2.6点)

(括弧内のマイナス点は、制限時間超過のペナルティーです。1分超過ごとに-0.1点、3ステージ分を合計したものを減点しています。)

審査員 講評

審査員3名の講評を掲載いたします。

森山直人氏

総評

この演劇祭の審査員は今回が2回目ですが、全体的な印象でいうと、今年のほうがレベルが上がっていたように思います。私は14団体のうち、12団体を初回の公演で見ていますが(例外はAブロック)、そのことがとりたてて気になるということはありませんでした。

今年の演劇祭の良さは、以下の点にあったと思います。
① 作品に多様性があり、かつそれぞれが一定の志をもって、作品制作に取り組んでいたように思えたこと。
② 学生演劇祭の役割や意味について、学生演劇実行委員会が、なんらかの理念やヴィジョンを提示しようとしていたこと。

第一の点について、客席では「異種格闘技」という言葉が飛び交っていたようですが、私もまったく同じことを感じていました。(詳しくは、この後の団体別の講評を参照してください)。第二の点については、当日パンフレットの「中間報告」が、その努力の跡を物語っています。
私自身は、「学生演劇祭」は、「学生演劇」もしくは「演劇」という存在にとって、絶対に必要不可欠なものだとは思っていません。いまさら高校演劇のコンクールでもないのですから、学生として、自分の本当にやりたいことを、やりたい場所で、やりたいようにやれる自主公演こそが、本来的には最も重要な場でしょう。にもかかわらず、自主公演だけを行っていることによるデメリットもまた存在するのではないか。客席の大多数が「知り合い」だけで占められがちな自主公演の繰り返しだけでは、「他者としての観客」に出会う可能性を気づかないうちに狭めてしまう危険性もあるわけです。その点、なかば強制的に同じ空間と同じ制限時間を共有し、同じ土俵で同じ観客の目にさらされるという「学生演劇祭」の場は、そうした閉塞を破るための、恰好の装置でありうる。この点についても、今年の実行委員会は、ある程度自覚的だったのではないかと感じられました。

ただ、その上で、もう一度、すべての作品を振り返ったとき、ある種の物足りなさを感じたことも事実です。閉会式でも申し上げましたが、あえていえば、その物足りなさは、驚きの不足、と言い換えることも可能です。たとえば、ナンセンスならナンセンス、密室劇なら密室劇、実験演劇なら実験演劇・・・といった具体に、今年の参加団体の作品には多くのジャンルが混在しており、その点が今年に特有の魅力を形作っていたこともたしかなのですが、見終わった後、どの作品も、どこかで見たことがある、という感触をぬぐえなかった作品が、ほとんどであったと思います。別の言葉でいえば、それぞれのジャンルに何かお手本のようなものでもあって、そのお手本に沿って進んでいくことだけを見て作品を創っている、という印象が、かなりの作品から感じられたということ。――急いで付け加えると、お手本に沿って進むこと自体が悪いわけではありません。問題は、お手本だけしか見えなくなってしまうことです。厳しい言葉でいえば、それは作品制作のマニュアル主義、ということに終わってしまいます。そして、マニュアルを越える何かが少しでもかいま見えたとき、そこから本当の意味での「作品」が、観客の想像力のなかで誕生することになるのだと思います。ひとえにその意味で、私自身が最も魅力を感じたのは、完成度という点では荒削りというしかない『炬燵』と『泣けるモラル』であったことは、これも閉会式で申し上げた通りです。技術的な向上は重要ですが、技術だけでは、最後は(エンターテイメントも含めて)「芸術」にはなってくれない。かといって、難解な用語を振り回しているだけではどうにもなりませんが、最後は「志」が伝わるのが「劇場」なのです。

劇団未踏座『懐かしき家』

一人暮らしの主人公ショウコの家で、教員採用試験の勉強に励むエンドウ。ある日そこに、指名手配中のレイプ魔サイトウが押し入るが、なぜか三人は奇妙な共同生活を始める。やがてそのことが、実は三人の子供時代の記憶や、淡い三角関係に由来していたことが明らかになる、という物語。つまりは「日常性」に一種の「幻想」がいつのまにか混入しているところにこの作品の見せ場があるのだが、「レイプ魔」がなぜすぐに大人しくショウコに従順になってしまうのか、「指名手配犯」がなぜ捜査の手を逃れて同居生活を続けることができるのか、などといった点について、観客を上手に説得できていないことが、物語全体に、やや強引な印象を与えてしまう。こうした要素は、逆に、彼ら三人の「日常」からの孤立感を浮き彫りにし、物語の行間で「幻想小説」のような効果を発揮する可能性もあっただけに、残念である。

劇団なかゆび『45分間』

きわめてユニークな2人芝居である。「この二人を決して愛さないでください」というナレーション(「玉音放送」を自称する)に続いて、逃亡中の二人のテロリストが、密室のなかで特異な世界観を戦わせ、まくしたてる。二人が名乗る「ムハンマド」という名前や「アッラー」への言及などからも、明らかにISのような現代のテロが意識されていることがうかがえるが、リアリズムではなく、むしろ「テロの形而上学」に主眼が置かれたこの種のドラマが、とかく「政治」を遠ざけがちな日本の現代演劇において、もっと描かれてよい重要なテーマであることに疑いはない。興味深い台詞も随所に見られるのだが、惜しむらくは、俳優の技術的な問題で、かなりの量の台詞が聞き取りにくいままに終わってしまったことは残念である。他の審査員とは逆の意見になるが、私はここで発せられた言葉を、もっと聞きたいと思ったのである。戯曲が面白かっただけに惜しまれる。

雪のビ熱『きかざって女子!』

学生にとっての「高校時代」は、一種の近過去であり、最も手の届きやすい題材かもしれない。三人の俳優が演じるほぼ等身大の「女子会」には、そういう意味でのリアリティが備わっている。「プロローグ」「本編」「エピローグ」というきっちりした展開を持ち、「現在」と「回想」がテンポよく切り替わっていく構成はよくはまっているし、深夜の学園モノの30分アニメを見ているようなリズム感があり、よく出来ている。ただし、その分、途中から、だいたい着地点が予測できてしまう感は否めず、驚きは感じなかった。俳優は三人とも熱演しているが、声が割れやすい点が、技術的な問題としては残る。

劇団月光斜『メルシー僕』

一心腐乱に小説家をめざしている息子と、息子の将来を案じる母親との激しい葛藤がテーマ。それぞれに2人ずつ、「内面の声」を演じる俳優が付き添い、相反する思いや声にならない声を代弁するのだが、メインとなる息子と母親の演技には、次第にモダンダンス的な激しさが増幅されていく。クラシック音楽をふんだんに使い、壮絶な母殺しを演じるクライマックスには、一種の劇画的な誇張を感じた。俳優相互のアンサンブルは非常に統制がとれている。クライマックスは、キャラクターにとっての一種の自滅で、いわば泣き崩れるために泣き崩れているような印象も受ける。そのことが本来あるべきリアリティを平板化してしまっているのか、それとも、それこそが「現代」のリアリティなのかは、微妙である。

劇団べれゑ『炬燵』

この芝居は、いわば「炬燵」という存在自体が主人公であり、すでにその点で、野心的な作劇である。「人為的堕落装置」とパラフレーズされる「炬燵」の周りで、人々が次々に怠惰にかまけ、死人まで出ていく様が、ファンタジックな裁判シーンと交錯しながら展開されていく。ゴダールの傑作SF映画『アルファヴィル』の主演俳優の名前や、シェイクスピア『マクベス』の三人の魔女のシーンが引用されたり、影絵のシーンが幕間劇のように挿入されたり、物語が重層化していく工夫が随所になされている。スモーク、映像、紗幕、手動式回り舞台などを多用するにより、必然的に生じる多くの舞台転換には、初日のせいか、少なくない失敗も見られたが、見ていて嫌な感じはあまりしなかった。むしろ、個々の短いシーンが言葉ではなく沈黙によって多くを語ろうとしている点は印象に残った。音響は音質だけでなく、作品自体との関係という点も含め非常によい。

劇団西一風『ピントフズ』

労働者たちがひたすらコンベアで流れてくる小さな段ボール箱に霧を吹きかける。たったそれだけの単純作業を、さも当然のように登場人物たちが繰り広げるところが、演劇的なリアリティを構成していたといえる。霧吹きが、なぜか「ピントフ」と呼ばれ続けているところも、ナンセンス・コメディの王道とも言える仕掛けである。「ピントフが爆発」したり、まるで人格を持ったように、コンベア伝いに攻めてくる様子は、それだけで不条理コントの笑いを誘うに十分である。残念だったのは、俳優の演技設計に、やや混乱があったところか。「日常的に立つ」ことと「一見日常的に立つ」こととの間の微妙な差異にこそ、ナンセンス・コメディのおかしみが出てくるのだが、登場人物から自然におかしみが漂ってくるところまで至るまでには、もうひと工夫の演出が不可欠だろう。「コメディ」とは異なる存在のドラマに至りたかったのだとしたら、無言の場面の表現に、「なにもしないこと」のリアリティがもう一歩立ち上がっていく必要があった。

遊自由不断、『花満たし』

学生の三角関係が、実は一人の心に傷を持った女子大生スミレの心を射止めるナンパゲームであった、という設定。気障でニヒリストのマツユキに、スミレと幼馴染みの正直なアオイが喰ってかかるが、スミレは結局マツユキにだまされ、どん底に突き落とされていく。そんなこの作品においては、それぞれのキャラクターの声にならない声が、字幕でスクリーンに投影される、という、最近の現代演劇で使われ始めた手法を採っているところに特徴がある。さらには、透明なプラスチックボックスに花が満たされたり、失われたりする映像が、スミレの内面を象徴する道具立てとなっているのだが、さすがにこれはちょっと説明的すぎる。映像のアイディアは思い切って捨てて、むしろオーソドックスな恋愛劇にチャレンジするべきだったかもしれない。45分という制限時間も災いし、スミレの内面のリアリティに観客が共感する以前に、あわててストーリーを追いかけるだけに終わってしまった。

ソリューションにQ『ハムスターの逆襲2106』

創作に悩む小説家が、書きかけの自作のSF世界に迷い込んでしまう。他でもない自分が創作した登場人物たちとともに、ハムスターの侵略に抗う地球防衛の戦いに加わった主人公は、作者の特権を駆使して連戦連勝しつつも、いつしか形勢は逆転して絶体絶命のピンチに陥る。一定以上のIQを持つ者は必ず死ぬウィルス兵器の使用を決断した主人公の自己犠牲は、実はそれ自体が作者の創作であり、編集者に評価される、というオチを持つこの物語の面白さは、主として大真面目なドラマのパロディやギャグの部分に集中している。逆にいえば、普通のドラマ部分の展開がうまくいっていないため、メタフィクション的な転覆に説得力を欠く結果に終わっている。俳優は魅力的なだけに、もう少し工夫の余地があったはずだ。

劇団速度『破壊的なブルー』

客電下で始まり、客電下で終わる。声に出して発せられる台詞はほとんどない。ブルーシートに散乱したゴミの上で、三人の登場人物が息づいている。同じシーンが4回反復され、少しずつ何かが付け加わった後、物も言わずに座り込んでいた赤い毛布の女が立ち上がり、高架下に響く列車の轟音のなかで、黙って見上げる三人と、そして、彼らと無関係に下手の水槽の世話をし、最後に彼らをブルーシートに包んで葬り去っていく眼鏡の男。ト書きも含めて表示される字幕は、やがて拡散し、ホワイトアウトする。――ここで展開されているのは、きわめて野心的な「実験演劇」である。俳優も健闘している。だが、よく出来ているはずなのに、なぜかあと一歩の驚きがない。俳優の「立ち方」に、演出家が何を求めているのかがもっと明確に現れてもいいはずで、その分、全体が「段取り」のように見えてしまうことも否めない。構成自体は非常に優れていただけに、その点だけが惜しまれる。

幻灯劇場『虎と娘』

「夜の地下鉄には、差別された動物たちが生きる草原が広がっている」・・・言葉遊びとレトリックを駆使したファンタジーは、とりわけ初期の野田秀樹的な世界を彷彿とさせる。ヒトトラとアノネの関係は、ヒトラーとアンネの関係から離脱しようとする。地下を駆けまわるトラの舞いは、見ごたえがある。椅子や懐中電灯の使い方も、舞台の空気を動かすだけの力がある。ただ、中盤以降、「身体」の見せ場が徐々に減少するにつれ、レトリックがやや空転し、テンポを阻害していた点は惜しい。野田秀樹的なレトリックは、レトリックが生まれる端からそれらを置き去りにしていく身体の運動が伴うことで、はじめて活きるものであることを実感させた。さもないと、慣れてくるにしたがって、若干甘ったるく感じてしまうのだ。野田的な世界としての完成度という意味では、かなり高い。

劇団紫『木のせい』

不治の病を患うカスミ、その友人ユリカとソウタ。三人の主要な登場人物を見守るのは、彼らが子供の頃からよく遊んだ思い出の「木」。その「木の精」が、時空を飛び越えて三人の人間関係に関わろうとするのだが、その「木の精」のあり方が、いかにも取ってつけたようで、その強引さが面白さとなっている。ただ、この方法はあくまでも「飛び道具」としての面白さであり、彼女が普通の狂言回しの役割を演じ始めると、「飛び道具」としての魅力が薄れ、強引さがマイナスに転じてしまう。台本のレベルで辻褄を併せようとしすぎたことが、かえって仇になったかもしれない。自分たちの面白さがどこにあるのかを自覚的に把握する冷静な距離感も必要だったはずだ。

青月ごっこ『お悩み、遅っくおん!』

他人と同じように生きられないアサヒの前に、彼女にしか見えないヨドが現れる。鏡像のような二人の関係を結びつけるキーワードが「発達障害」であることが、物語の終盤で明らかになる。着眼点は悪くないが、ストーリーの展開もキャラクターの造形も、よくあるパターンに陥ってしまっている点は残念である。3人の俳優で、多くの配役をカバーしようという頑張りはあるのだから、45分間という時間の展開の仕方に、自分探しをテーマにした「高校演劇」とは異なるテーマの掘り下げ方が工夫されてよかった。アサヒとヨドの即興風の日常芝居も、私の見た回に関しては、内輪ノリ的な感じが拭えなかった。

劇団月光斜TeamBKC『Sensibility』

典型的な「密室劇」である。5人の出自の異なる登場人物が、理由も定かでないまま、地下室に閉じ込められる。最初は一種のゲームかもしれないと高を括っていたのもつかのま、やがて、彼ら一人一人が借金を抱えていることが明らかになる――。物語には面白くなる要素があるはずなのだが、演技のトーンが、発端と大詰でほとんど変化がないことで、ストーリーの起伏が浮かび上がってこなかったことが惜しまれる。密室劇に不可欠な、緊迫した場の空気のようなものがなかなか立ち上がってこなかったのは、俳優が台詞に任せて不用意に動きすぎるせいもある。5人の人物が出会い、事件が起こるという展開は、それなりに複雑なので、語りの手順ももう少し工夫が必要だったのではないか。

スーパーマツモト2『泣けるモラル』

あえていえば、「未整理」な作品である。だが、整理する能力がなかったことによる「未整理」とは別の感触がこの作品にはあって、明らかに「容易に整理できないこと」を正面から扱おうとしていることによる必然的な「未整理」ではないかと思う。実際、断片的な情景の積み重ねによって進行するこの作品の時間は、聾唖者とその通訳による短い場面が二回繰り返されることで、かろうじて構造化されているのだが、たとえば登場人物の「声」をめぐる演出設計には(すべてがうまく行っていたとは断定できないが)明確な意思を感じることができる。すなわち、どの場面も、特定の誰かの「声」ではなく、不特定の「声」が断片的に客席に届くことで、この作品の群衆的な性格が明確になっている。キリストの磔刑と復活、1945年8月の朝鮮半島解放や、大日本帝国軍人のピストル自殺の「演技」が、時にきわどいポルノ小説のような猥雑さと「ごった煮」にされる。しかしその間、「どもることも思想ではないでしょうか」「モラルがないこと自体がモラルだ」といった印象的な絶叫が挟み込まれてくるのだから、舞台はほとんど予測不能な時間を生きることになるのである。これが完成形とはまったく思えないが、「モラル」という観念をめぐって何かを生み出そうとする試行錯誤の強度だけははっきり伝わってきた。

プロフィール

【プロフィール】
1968年生。演劇批評家。京都造形芸術大学芸術学部舞台芸術学科教授、同大学舞台芸術研究センター主任研究員、及び機関誌『舞台芸術』編集委員。KYOTO EXPERIMENT(京都国際舞台芸術祭)実行委員長。主な著書に『舞台芸術への招待』(共著、放送大学教育振興会)等。主な論文に、「チェーホフ/エドワード・ヤン:「現代」を描き出すドラマトゥルギーの「古典性」について」(『アジア映画で〈世界〉を見る』(作品社)所収)、「「記憶」と「感覚」――ユン。ハンソル『ステップメモリーズ』の衝撃」(『F/T12 DOCUMENTS』)、「〈ドキュメンタリー〉が切り開く舞台」(『舞台芸術』9号)他多数。

【事前メッセージ】
実のところ私は「学生演劇」という言葉を全く信じていません。学生のものであれ、プロのものであれ、それが「一本の演劇作品である/でしかない」ことに変わりはないからです。しかも恐るべきことに、演劇というジャンルでは、何十年もキャリアのあるヴェテランの作品が、高校生が丁寧に作った作品に惨敗することだって現実に起こります。だから、「学生」という皆さんの肩書きなど一切無関係に、虚心に拝見させていただきます。

・・・と昨年度は書かせていただきましたが、今もまったくその思いは変わりません、健闘を祈ります。

村川拓也氏

総評

今回の京都学生演劇祭では、演劇祭自体のコンセプトをはっきりさせたことがとても良かったと思います。僕は審査員をやらせてもらったので、特に審査員特別賞の審査コンセプトや、審査員選定理由がしっかりと明記されたことによって、審査員としての役割を十分に解釈、理解することができました。また、京都学生演劇祭の「記憶」と題されたレポートもこの演劇祭を理解する上で、すごく重要なものであったし、京都学生演劇祭に歴史と未来への長い視野を付与する充実した資料だったと思います。僕は、学生演劇祭にフェスティバルディレクターのような人を立てる必要はないと思うけど、ある程度、演劇祭自体の「ねらい」のようなものは必要であると思っています。じゃないと、普段自分たちがやっている公演の状況と何も変わらないと思うし、そうだったら演劇祭に参加する意味がないと思うからです。演劇祭の「ねらい」を考えることは、現在の京都の学生演劇全体の動向やこれからを考える事に繋がると思いますし、つまりは、自分たちが今どのように何を考えて演劇を作っているのかを改めて真剣に考える機会になると思います。演劇祭参加=社会性を得る、とはまったく思いませんが、演劇祭に参加する事によって、自分たち自身をすこしでも俯瞰して見ることができれば、これからの皆さんの作品づくりにとってきっと良い経験になると思います。来年もがんばって下さい。

劇団未踏座『懐かしき家』

いくつかの団体にも言えますが、音楽や効果音で作品の雰囲気を作りすぎていると思いました。作品が始まるとき、暗転とともに音楽がかかって、劇の世界に入っていく。これは確かにひとつの方法だと思うけど、観客はそういう始まり方をよく知っているし、ほとんどの観客がこのやり方に飽きているんじゃないかと僕は思います。そういう始まり方をした瞬間にこれからどんな作品が上演されるかが一瞬でわかってしまう。始めの始めからもうわかったという気分になると、もう観る気すらなくなってしまう。もちろん、こんなことを思うのは観客全員ではないけれど、もっと観客を裏切るような、驚かすような作品の作り方を模索しても良いんじゃないかと思いました。

劇団なかゆび『45分間』

テロ、宗教、事件、思想、死、神、世界情勢と日本、政治などなど、日常生活を淡々と送っていると社会や世界の問題になかなかリアリティを持てないと思います。ましてや、学生である若い人達にとっては、今の自分が抱える個人的な問題や、お金や恋愛とかそういうことばかり気になってしまうと思うので、特に上に書いたような主題はなかなか手を出しにくいと思います。でも、この劇団なかゆびは、果敢に社会的な主題を扱おうとしていました。若いのに意識が高いなと思いました。主題をどのように設定し、どのように取り組み、何を目指しているのかは正直わかりませんでしたが、結果としてそのわからなさ自体がこの作品のもっとも良い部分なんじゃないかと思いました。主題は重たいものばかりでしたが、後半になるにつれて二人の俳優がただただ必死で動きまくり、しゃべりまくるようになってからは、彼らは演劇の時間を作る事だけに専念し始めました。セリフも聞き取れないし、何をやっているのか意味が分からない。ただ必死で舞台上を駆け回り、ただ言葉をしゃべりまくるだけで十分演劇の時間をつくれていると思いました。演劇は主題やテーマや物語だけではなく、人がしゃべり、動くだけでまずは成立するのだなと改めて思いました。ただもう少し、観客との関係を考えても良かったんじゃないかと思います。「これを観ている」観客自体を作品の内部に取り込む方法はないでしょうか。上演中に一回、観客全員を外に出して、劇場の中では上演は続いている時間とかを作っても良いんじゃないかと思いました。

劇団べれゑ『炬燵』

最初はほんとうにすべてがよくわからなくて、衣装も派手だし、顔白塗りだし、出演者多いし、黒子のスタッフもいっぱいいるし、お話も情報量が多いし、照明すごく変るし、次のシーンのための転換の時間がシーンより長いし、観客が置いていかれるというか、観客を無視して舞台上だけで、自分たちだけでやっているような感じで戸惑いました。でも、これは劇団なかゆびと同じような効果なのかもしれませんが、観ていてあまりにもわからなすぎてだんだん面白くなってきました。なんでかなと考えると、たぶん観客は作り手が何をやっているのか理解できないとき、別のものを観ようとするからだと思います。もう作り手の意図なんか関係なく、この人達はなんでこんな事をやっているのだろうとか、めっちゃ汗かいて必死でなにかをやろうとしているなーとか、作品とは関係のない視点で見始めるのだと思います。こういう見方は実はすごく重要で、演劇には作品世界の他にもうひとつ「目の前でやっている」という現実的な視点が必ず存在するからです。終盤、一人の俳優が「こんな裁判やめてしまいましょう」とセリフを吐いたとき、僕は思わず笑ってしまいました。僕には「こんな劇やめてしまいましょう」と聞こえたからです。それは、役としての人間ではなく、役を演じる前のその人自身が客観的になって、「この作品は壊れているのでもうやめましょう」と言っているように聞こえました。そうやんな、と納得して笑ってしまいました。

雪のビ熱『きかざって女子!』

観客が沸いていた。すごくうけていた。女の子三人の等身大のコメディだと思いました。観客は学生が多いと思うので、自分たちが普段感じている恋愛とか将来の不安とか友達の問題とか、そういう部分で共感した人が多かったんじゃないかと思います。ただ、学生が学生のためにやっているだけだと、あまりにも世界観が狭すぎるんじゃないかと思いました。と、思ってじゃあ例えば自分はどうなのかなと、はたして自分の作品は広い世界観でやれているのかと、反芻してしまいました。もしかすると、僕も結局狭い世界でしか通用しない作品を作ってしまっているんじゃないかとか、わかる人にしかわからない作品でしかないんじゃないかとか、などなど。必ずしも世界を広く捉える必要はないけれど、無意識でだめな方向に行かないように気をつけないといけません。雪のビ熱も僕も。

劇団月光斜『メルシー僕』

母と息子、二人の登場人物にそれぞれ心の声役の登場人物二人。一人の登場人物に二人の心の声があるので、つまりは三人で一人の人物をつくりあげる。こういうやり方は面白いのですが、かえって実は観客が想像する隙間をすべて埋めてしまっているんじゃないかと思いました。例えば母と息子だけの二人であれば、彼らが言葉にしない感情や考えは観客が想像できるわけですが、心の声を実際に俳優が言ってしまうと、その心の声以上の想像を観客はしなくなるんじゃないでしょうか。「観客の想像に任せる」という演劇のもっとも基本的な技術を使わないのはもったいないなと思いました。ただ個人的には、観客に想像する隙間を与えないタイプの作品は好きなのですが、これがどうすればそういうことができるのかなかなか難しい。目の前のものを見ているだけ、なにも想像しない作品を作る機会があった時、この作品の方法は参考になるなと思いました。

ソリューションにQ『ハムスターの逆襲2106』

ハリウッドのアクションやSF映画を観すぎているせいなのかもしれませんが、全作品の中で一番、作品世界を具体的に想像しました。今まで観てきたアクション/SF映画の風景や小道具やキャラクターやモンスターや異星人のイメージがすでに自分の中にすごい量あるのだなと気付きました。だから観劇中、ずと自分の中にある映画のイメージを取り出し、パッチワークしていたように思います。観客の中にある無意識のイメージを操作する作業というか、それを精査したり、勘定したりしてみてはどうか。もしかすると、そういう作り方は結構興味深いのではないかと思います。そういえば前に、ある映像作家が、いくつかのSF映画からいろんなシーンを抜粋して、新たに編集し、いびつなオリジナルSF映画をつくるということをやっていました。それに近いかもしれません.。

劇団西一風『ピントフズ』

積極的に世界を作るのではなく、受動的に世界を受け止めるような作品だと思いました。作るとか、やるとか、到達する、とか前に進もうとする作品が多い中、この作品がだけが唯一、止まっているというか、ただ突っ立ってる感じだったように思います。その点がすごく良かったと思います。ただ、コントとかコメディとかの笑いの感覚が漂っていて、実際すごくうけていたのですが、僕は別に笑いはいらないんじゃないかと思いました。本当に笑えるコントとかコメディとか漫才とかもそうなのかもしれませんが、ほんとに笑えるものは実は笑えないと思っていて、そういうところまで出来上がりつつあると思ったので、「うけねらい」の雰囲気を一掃した方がさらに笑えない(笑える)作品になるのではないでしょうか。

遊自由不断、『花満たし』

すごく暗い作品だなと思いました。最後に女の子は二人の男から裏切られ絶望する。ラスト5分のどんでん返しはすこし驚きました。そー来たか、という感じでしたが、いくら物語を突飛な方向に向けさせてもすぐに観客は、そのパターンねと飲み込んでしまいます。たぶん、いくら物語を屈折させても突飛で巧妙なプロットにしようと、それは演劇のおもしろい部分とはあまり関係がないんじゃないかと思います。言葉は、どんなに初めは新鮮で熱がこもっていようともすぐに新鮮さや熱は観客の中で腐っていくし冷めていくと思います。これは演劇に限った事ではなく、言葉の宿命だし言葉を使った物語の宿命だと思います。そうであるとき、言葉を諦めるのか、それでも開き直って果敢に言葉の可能性を探るのかは、言葉を使うしかない自分たちにとって与えられた大きな問題だと思います。

劇団紫『木のせい』

俳優が主体なのではなく、セリフや物語が主体になっているなと思いました。セリフに俳優が無理矢理あわせている感じがしました。観客がまず観ているのはセリフや物語ではなく、目の前にいる俳優なり具体的な美術なりライティングだったりします。あなたは誰で、あの小道具は何で、ここはどういう場か、そういう現実的な面をまず観ていると思います。だから開始早々、役柄やセリフだけで観客を劇世界に引っ張るのは、無理があると思いました。始まり、観客はまだ世界を知りません。あなたたちが誰なのかも知りません。放っておいても観客は作品につき合いません。僕はそう思うので、どんなことでも構わないので、まずは作品と観客をつなぐパイプのようなものを作品の始まりに用意した方が、より観やすくなると思いました。あまりよくないアイデアですが、なにも思いつかない場合はとにかく、「ようこそ、私達は今からこういう作品をやります」とかでもなんでもいいので、客席と作品を繋ぐアイデアが必要だと思います。

劇団速度『破壊的なブルー』

やっている事はコンセプチャルというか、さばさばしているのに、俳優がフィクションの世界にいようとし過ぎ、役割に没頭しすぎていてバランスが少し悪いなと思いました。俳優はもっとラフな状態、たとえばただ台本の指示に従うだけの状態、普通の状態で取り組めばもっと良くなると思いました。そのことに通じる事ですが、プロジェクターで映される台本の言葉(指示)と目の前で行われる行為にズレを感じました。言葉(指示)に書いてあるのに俳優がそれに従わなかったり、従ってもタイミングがズレていたり、余計な演技がはさまっていたり。そのズレをどのように考えているのかが伝わってこなくて、ズレの効果が不明なまま時間がすぎていってしまいました。「男は水を飲む」という指示の時にはタイミングよく男は水を飲むべきだし、どのように水を飲むかという演技は全く要らないと感じました。ただ水を飲めば良いと思います。この作品のもっとも基本的で面白い部分は言葉(指示)に従うという事だから、そこに過剰な演技やフィクショナルな雰囲気は必要ないし、ただ指示に従うことを執拗に繰り返した結果、ようやく何かが生まれてくるのではないでしょうか。こういう作品は、我慢が必要です。安易に演技をしないのが得策だと思います。赤い布にくるまっている女の人は、布の下は下着姿の方が良いと思いました。

幻灯劇場『虎と娘』

Noda map的で完成度も高く、俳優の演劇も上手で高評価でしたが、僕にはその良さが分かりませんでした。なかでも、言葉遊びのセリフ回しに違和感を感じ、聞いていて少し恥ずかしくなるというか、ただダジャレを連発しているだけというか、おやじギャグの滑稽さのようなものを感じました。ただこれは、僕が本当にこの手の演劇をあまり観た事がなく、面白く思った経験がないので、見方そのものを知らないだけなのかもしれませんし、このような作品はこの世界にたくさんあって、きっと現代演劇の主流はこういう作品なんだろうなと思います。演劇にも色んな種類があって、どうしてもジャンルが存在するのだなと感じます。どんな種類の演劇であろうと演劇であるという事に変わりはなく、すべてひとつの演劇として話を始める事の難しさやもどかしさを感じます。現状として演劇が明確にジャンル分けされているわけではなく、大きく「演劇」として作り手も観客も捉えていますが、今後、演劇が明確にジャンル分けされる日が来るのでしょうか。そしてそのことは良い事なのでしょうか。今はわかりませんし、明確に分ける必要があるのかもわかりません。日本のメインストリームの現代演劇にあまり影響を受けずにやってきた僕にとっては、これからもずっともどかしく感じ続けるのだと思います。

スーパーマツモト2『泣けるモラル』

作者、戯曲、構成、演出、などの演劇を支える基本的な構造を無視している感じで、初期衝動だけがあるという感じで良かったと思います。初期衝動なので始めから壊れているし、壊れている事が始めから観客にも伝わっていたので、戸惑う事なく作品を見始める事ができました。この作品が劇団なかゆびとか劇団べれえの分からなさの良さと違うのは、はじめから分からないという事であって、分からない前提で観始めると、観客は作品から何かを捉えようと必死に集中して観るのだと思います。起承転結を使った物語は見えて来ないけど、ときどき、ちらっ、ちらっと作品の核心部分が見えてくる。ひとつずつ積み上げていくタイプの作品ではなく、全体で、俯瞰した状態で観るという感じでした。テーマはタイトルにもありますが、モラルについて。特に日本人のモラルを問題にしていたのだと思います。モラルとは倫理感、道徳意識です。初期衝動でモラルを問うというのはすごく正解というか正確なモチベーションだと思います。モラルを問うために、例えば戦争とか韓国との関係とかキリスト教とか日本の会社の朝礼とか、いろいろな題材を扱うわけですが、それらの題材が何のために用意されているかというと、実は俳優とはどういう存在なのかを問うためなんじゃないかと感じました。なぜかというと、全作品の中でこの作品が一番、俳優たちの存在が不安定で、その不安定さにすごくリアリティを感じたからです。ひりひりとした不安を抱えながら立っているように感じました。俳優のモラルとはなにか、観客のモラルとは何か、演出家のモラルとはなにか、すべて今目の前で行われている現実にモラルというバイアスがかかっていて、演劇を見る体験としてはすごく正しい緊張感があったと思います。この緊張感はつまり現実社会や現実生活の緊張感につながり得ると思いました。

青月ごっこ『お悩み、遅っくおん!』

京都教育大学だけあって、すごく道徳的というか教育的な印象でした。昔、学校の体育館で観たことあるような演劇観賞会の感じがしました。しかし、別に面白くなかったわけではなく、楽しく観ることができました。メッセージがはっきりしていた分、観やすかったし分かりやすかったです。演劇でも何でもそうですが、「何を伝えたいか」ということがすぐ問題になります。なかなかそれに答えるのが難しいと思っている人は多いのではないでしょうか。僕もよく人に聞かれます。たしかに難しいですね。でも青月ごっこの作品は、何を伝えたいかがはっきりしていて、観ていて気持がよかったです。なんだかわからない感情や、うまく答えることができない状態を直接表現してしまうよりも、時には観客が理解しやすい教育的な道徳劇のような演劇も必要なのではないかと思うことができました。教育することを念頭に置いて、演劇を作り続けてみるのも良いのではないかと思います。あまりそういうことをやっている人は少ないし、劇団の面白い特徴になり得るのではないでしょうか。

劇団月光斜 TeamBKC『Sensibility』

講評会でもすこし話に出ていましたが、密室劇ならではの緊張感がちょっと欠けていたと思います。たぶん密室劇の一番重要な事は、密室の中ではなく外の世界のリアリティをどのようにうまく表現するかだと思います。昔、「CUBE」という密室劇の映画ありましたが、あの映画が面白かったのは、外の世界の広がりを感じる所でした。しかも、密室と外という分け方に留まらず、外はすでに中になっているんじゃないかとか、この密室が何かの外になってしまっているんじゃないかとか、そういう世界の空間認識が反転したり浸食したりする感覚が、あの人を殺すだけのミステリアスな箱の密室感に緊張感や不安感を与えていたのだと思います。劇場の中と外の世界、というのはいろんな作家が考えていて、実際にそのことをテーマにした作品も多く上演されていると思います。おそらく密室劇を成立させるためには、物語や作品世界だけに没頭するのではなく、上演している場所とその外の世界という大きな枠組みから考えないといけないと思います。野外で密室劇をやってみるのも良いかもしれません。

プロフィール

【プロフィール】
1982 年生。演出家・映像作家。2005 年、京都造形芸術大学卒業。2009 年まで、地点に演出助手として所属。独立後は演出家として活動を開始し、ドキュメンタリーやフィールドワークの手法を用いた作品を様々な分野で発表している。主な作品に 、『ツァイトゲーバー』 ( F/T11 公募プログラム、大阪市立芸術創造館/2011、2012) 、ドキュメンタリー映画『沖へ』 (2012)、『言葉』(F/T12 主催プログラム)、AAF リージョナル・シアター2013『羅生門』(2013) 、『エヴェレットラインズ』(2013)など。『ツァイトゲーバー』は各地で再演され、2014 年5 月にはHAUHebbel am Ufer(ベルリン)の「Japan Syndrome Art and Politics after Fukushima」にて上演された。セゾン文化財団助成対象アーティスト。

【事前メッセージ】
僕は学生演劇の経験がありませんし、演劇の先輩面をして学生の人達に物申したいこともないので、なかなか応援コメントと言われても言う事がないのですが、作品を観た後ならその作品について話をする事はできるし、応援もできるのではないかと思っています。審査はしっかりやります。がんばってください。

市川明氏

総評

1か月ぶりにベルリンから帰ってきた。京都学生演劇祭の審査員を務めるために。演劇祭はもう始まっており、ぎりぎり9月4日と5日に観劇できた。それにしても暑い。観劇中も汗が止まらなかった。会場は京都大学吉田寮食堂。初日は寮の裏側から入り、細くて長い廊下を抜けて、食堂に行った。何一つ変わっていないことに懐かしさを覚えたが、一貫して寮の建て替えを拒んできた政府に対する怒りも増した。こうした歴史をかみしめながら、会場として寮食堂を提供してくれたことにまず感謝しなければいけないと思う。

京都学生演劇祭は演劇祭と呼ぶにふさわしいイベントだ。演劇祭と呼ばれるものの中には便宜上そう呼んでいるだけで、理念があいまいだったり、相互交流が行われていないものもある。だがこの演劇祭は違う。それぞれがほかの劇団の上演から多くを学び、前進していこうという野心(ドイツ語ではいい意味)に満ち溢れている。ほかの人の歌は聞かず、マイクを持ったら離さない的な「カラオケボックスの君」はここにはいないのだ。歌や寄席、古本、屋台などがもっと多く集まってくれば、いっそう楽しいものになるだろう。

14劇団の公演を二日間で一気に見るというハードスケジュールだったが、すべての劇団が一定のハードルをクリアしており、「これはひどい」という劇団は一劇団もなかった。ブロック別に言うとDが3劇団ともレベルが高く、いちばんおもしろかった。学生劇団なので、「どのように新しいものを目指しているか」という点に、興味があった。しかし「前衛的で、とがった演劇」という予想は崩れた。劇場の構造上、さまざまな制約があるにせよ、演出面ではもっと強烈で、新たな解釈を呼ぶようなものがあってもいいと思った。

僕は絶叫する芝居、センチメンタルな芝居は嫌いだ。あまりにも感情をこめて涙ながらの演技をされると、俳優に「そのセリフの後に『と○○(役名)は言いました』と付け加えろ」と言っているぐらいだから。暗転の多い芝居や照明の暗い舞台も嫌いだ。イリュージョンは必要なく、今では明るいところで堂々と舞台転換をしているのだから。テンポの遅い芝居はもちろんごめんだし、作者が書きすぎて、観客が色を塗るスペースがないような芝居も面白くない。でもこういう芝居が意外と多いのにも少しびっくりした。

さて全上演を、台本、演出、俳優、舞台美術、照明・音楽などから総合的に評価してみた。そのうえで演劇の新しい可能性を求め、新たな価値を発信している、四つの作品を選んだ。『破壊的なブルー』『45分間』『炬燵』『ピントフズ』の四つだ。『破壊的なブルー』は僕が演劇の実践で目指しているものと極めて近く、心震えた。だが「言葉への回帰」という点で、最後は折り合えなかった。『炬燵』は荒削りで、未完成だが魅力的。ただまだたくさんの埋めなければならない隙間があり、今回は見送った。『ピントフズ』は誰がこんな台本を書いたのだろうと、びっくりさせられる。だけどこてこての芝居、ドイツ表現主義の絵のような演劇が好きな僕には、やはり静かなリアリズムは性に合わなかった。『45分間』はほかの上演には欠けている今日性や現代性をいちばん強く感じさせた。演劇に対する熱意や誠実さがもろ伝わってくる上演で、特に二人の俳優のからみはすばらしいと感じた。一般受けしないこともわかっていたし、空回りしている部分があることも見えていたが、最終的にこの作品を審査員賞に推した。

参加者のみなさん、創造の場に戻って、新たな実験に挑んでほしい。

劇団未踏座『懐かしき家』

一人の女性と二人の男性の芝居。舞台は女性の家。出会いや遊ぶ場所は路上や広場であっても、思いを交差させ、心が溶け合うのは家。そこに「懐かしい」と言う感情が生まれるのだろう。教員採用試験に受かり、すでに教員免状を持つ女。受験準備で参考書を抱える若い男を見かけ、声をかけたのが知り合うきっかけ。男は女の家に通い、アドヴァイスを受けながら勉強に励む。そこへ警察に追われたレイプマンが入り込む。トライアングルと逆三角形のトライアングルがいわば8の字形に置かれている、そんなドラマの世界だ。その中心にいるのは女性で、幼き頃の思い出に戻っていく。忘れられていた関係が浮かび上がる。ここが芝居の転調部分なのだが、ちょっとセリフに頼りすぎかな? 装置ももっとアブストラクトで何もない空間、俳優も裸足のほうがいい。ただ二階で休む女性はもっと立体感を出して、高い脚立に腰かけるとか…工夫が必要。

劇団なかゆび『45分間』

二人芝居ほど面白いものはないし、難しいものもない。そんな二人芝居の魅力に迫った上演だ。「この二人を愛さないでください」という玉音放送がまず流れる。軽いコミカルな出だしは世界に対する反逆、人間に対する挑発でもある。ブランコのように揺れ動く装置が時間を刻んでいく。逃亡中の二人のテロリストが獄房のような閉ざされた空間で語り合う。作者がこの作品を学びの劇(教育劇)にしようとしていることはよくわかる。異端者や難民といったマイノリティの問題や、彼らにとって神とは何かが鋭く解き明かされるからだ。太鼓のリズムで東アジアの小国が浮かび上がり、セリフのアーティキュレーションを変えることで人間疎外を表そうとするなど、芝居をよく知る集団の意欲的な試みだ。ただ決定的なインパクトをどこで生み出すかという点では物足りない。理屈がやや勝ちすぎて観客にフレンドリーではないのだ。玄人受けのする芝居だと言える。

雪のビ熱『きかざって女子』

若い女性の多くが何か月かに一度は女子会をしている昨今、興味ある中身を覗かせていただいた。合評会で「僕なんかどんな立派な講義をしても話題に上らないことがよくわかった」というと笑いが起きた。舞台は高校で同級だった三人が集まる女子会。いつものように家に集まる。田山花袋の『蒲団』が話題になり、僕には通奏低音のように芝居全体を流れ続けた。彼女たちはこの作品と同じく「すさまじい暴風(あらし)」のような恋愛を追い求めているのだろうか? 自然主義の文学のようにありのままの赤裸々な告白がなされるのだろうか? たしかに楽しい演劇でメリハリもある。だがデート、割り勘、男の年収、旅行などの話題はほぼ想定内のものだ。ポール・マッカートニーも出てきているのだから、ガーンとステレオをつけて踊りまくるとか、一緒にポルノ映画を見るとか、芝居に音や映像をもう少し絡ませたらどうだろう。俳優が力演しているだけに惜しまれる。

劇団月光斜『メルシー僕』

「物事の本質は深く、遠くにある」。その本質を突き止め、言葉の世界に移し替えること、小説家になることを息子は真剣に追求する。社会で働き、生き続けているのに書けない苦しみや焦り。息子は小説家になることがそんなに甘くはないことを実感する。そしてその向こうにこうした息子の苦悩を見つめる母親の眼差しがある。母と息子のドラマだが、女3+男3のドラマになっている。少しわかりにくい面もあるのだが、僕には、それぞれの行動や心理の可能性をパターン化し、分身として表しているように思えた。この作品のモダニズムは、大きな可能性を期待させるが、まだ十分には表現されてはいない。クラシック音楽とダンスの組み合わせ、分身たちの対角線の交差など、美をもう少しシャープに表すことができれば、母親殺しという身振り的な終末が余韻を残して観客の脳裏に焼き付いたことだろう。

劇団べれゑ『炬燵』

紗幕が張られ、その向こうでスモークがたかれ、舞台が手動で回る。映像も映し出される。ほかの舞台にはない仕掛けに思わず引き込まれる。それだけではない、なんと中央に吉田寮から持ってきたような古い炬燵が置かれている。人間に「怠惰」「色欲」「嫉妬」「酩酊や暴食」など「七つの大罪」を起こさせる「人為的堕落装置」として。こうしてみると炬燵がもうこの芝居の主人公だ。『罪と罰』のような不条理な殺しが行われたかと思うと、『マクベス』の三人の魔女が誘導する神によって最後の審判が始まる。交錯する二つの平面が僕たちを夢幻の世界へ誘う。それにしても中央にいる(おそらく神)、大柄な女性の存在感は何だろう?! 炬燵が回転する間の空白の時間が心地よい。書きすぎ、しゃべりすぎの上演が多い中で、芝居の別の可能性を見せている。だが劇場の構造の関係で炬燵がちゃんと見えなかった。小劇場の傾斜のある客席で、見下ろすように芝居を観たかった。

劇団西一風『ピントフズ』

しゃれた芝居だ。平田オリザの静かな演劇を思わせる。ある小さな工場。四人の労働者が仕事着を着てコンベアのところで仕事をしている。奥の机には工場長。コンベアから流れてくる小さな段ボール箱にピントフと呼ばれる霧吹きで霧を吹きかけている。新米の労働者はピントフの使い方を教わる。ウェスカーの『調理場』や韓国の『ナンタ』も労働現場を扱った舞台だが、コックの身体パフォーマンスで大いに沸く。だがここでは霧吹きを押すという単純作業。ただそれだけの芝居の流れなのに観客席から笑いが起きる。静かなリアリズムがそこにはあるのだ。特に工場長をやった男性と松本を演じた女性は、「わかるー」と思わず感心するほどのリアルさがあった。コンベアからはピントフが流れてきたりする。ピントフ流しというイベントが話題になるが、精霊流しや、タイムカプセル、難破船から瓶に詰めて海中に投ずる通信など、様々なことが浮かんだ。

遊自由不断、『花満たし』

三人の若者を巡る劇。二人の男が一人の女を争う。こんな場合、勝敗予想をしてしまう。Aはまじめな優等生。言葉の端々に(冷たい)理性がうかがえる。標準語をしゃべる。Bは大学受験の敗者で、崩れた感じ。女の幼なじみで関西弁をしゃべる。パターン化された人物像だ。女は心に傷を持っており、精神障害を克服しようと心を砕いている。二人は女が笑顔を取り戻すように会話を続ける。様々な思い、心理的葛藤は映像に映し出される。言葉の洪水ともいうべき文字化されたテクストは非常に効果的だが、暗転が多いのが欠点。技術的な改良が必要だろう。女の心理を表す透明なプラスチックボックスの「花満たし」は×。予想通りAが「勝利」するが、思わぬ結末が。これはAとBのナンパゲームだったのだ。Aが「3勝2敗か。落とした相手には興味がない」、Bが「ごめんね」と言って幕を閉じる。この異化的な結末はグロテスク(戦慄+滑稽)で、大いに考えさせられる。

ソリューションにQ『ハムスターの逆襲2106』

 2106年という近未来を扱った演劇。明と暗の部分が合わせ鏡のように存在し、観客の心に笑いと深刻さの合わせ鏡を作り出していく。スランプに陥った作家が台本(小説)を編集者に見せるところから始まる。作家は袋小路を抜け、作品中のSFの世界に入り込んで、作品の登場人物とともに作品を動かしていく。大学で学ぶ者にとって「科学の社会的責任」は大きなテーマであり続けたが、ここではハムスターの侵略を受けた人類が作家=主人公の科学の力によって人類存亡の危機を切り抜けてゆく。ハムスターの逆襲に逢い、窮地に陥った科学者は自ら発明したIQ爆弾の投下を決断する。だがそれは発明者をはじめ高いIQを持つ人の死=犠牲をもたらす。「強者の繁栄」という鉄則はアイロニカルに覆される。ドキドキするような展開だが、シアトリカルには音や光でもっとメリハリがつけられるはずだ。主人公をはじめ俳優が好演だっただけに惜しまれる。

劇団速度『破壊的なブルー』

いつ始まったかもわからない舞台。男が舞台にブルーのシートを敷く。その上にはさまざまなものが散乱している。三人の放浪者。奥の赤い毛布をかぶった人が女性だということは終盤でわかった。映像が映し出され、ト書きの文字が浮かび上がり、転換していく。列車の轟音が響き、高架下の三人がそれを見上げる。歌を歌ったり、笑ったりはするが三人とも無言で、それは最後まで貫かれる。ベケットの黙劇を見るようだが、同じ場面が少しずつヴァリエーションを加えて、四度演じられる。俳優のリズム感あふれる動きはそれだけで十分なパフォーマンスだ。三人は境界線を持たない遊牧民のような存在のはずなのに、やがてそこから抜けられず、日常性に埋没していく。釜ヶ崎の日雇い労働者・浮浪者を思い浮かべた。阪堺線、南海線、JR線の三つの線に囲まれたこの地域で彼らも毎日、高架下で轟音を聞き、列車でここを抜け出すことを夢見ているからだ。荒木一郎のような男(と言っても、今は誰もわからないのでグーグッてほしい。いわゆるアングラの親玉のような人)が、狂言回しのような役で出てくる。下手前の大きな水槽に水を入れ、世話をしているが、最後にすべてのものにシートをかぶせて去っていく。劇場が場を作り、芝居がその場を厚く=熱くしていく。そんな芝居で久しぶりにパトスが湧いた。だが最後まで言葉は否定されたままで、やはり最後は言葉に戻ってほしかった。

幻灯劇場『虎と娘』

人と虎の子であるというヒトトラ。上半身と下半身がそれぞれ虎であるという二人(二匹)が、明日の先生、作家を夢見る女性アノネと繰り広げる数千キロのイメージトリップである。舞台は奥の板が一枚はずしてあり、(今回の演劇祭では唯一)閉ざされた空間と、そこに広がるパノラマの弁証法が感じ取られる。「夜の地下鉄」「差別された動物」「そこに広がる草原」などの言葉の連鎖は、新たなメッセージを読み取るきっかけを与えているようにも思える。ヒトトラはヒトラーとも聞こえるし、「平和のための戦争」のようなセリフからも単なる言葉遊びではない、「生きる」というテーマが隠されていると思われるからだ。ただそうしたことから離れても、この芝居は文句なしに楽しい。ヒトトラを演じる二人の男優の演劇力は群を抜いていたし、言葉のテンポや軽快な身体が発する身振り的な表現は十分に観客を楽しませてくれたからだ。

劇団紫『木のせい』

医者とユリカの話で芝居は始まる。病院には難病のカスミが入院している。幼なじみのそう太が訪ねてきて、三人はさまざまな思い出話を語り合う。この芝居には別に主人公がいる。土手でじっとみんなの成長や生活を見守ってきた一本の木である。木(木の精)を擬人化して一人の女性に演じさせたことがこの芝居の見せ所となっている。「木の精」は木から抜け出し、人間世界に現れ語りかける。この場面は木の精を演じる小柄な女性の奮闘や、さまざまな仕掛けでけっこう楽しいものとなっている。ただ結末は少し強引だ。「どうなるかわからない未来を恐れている」カスミは未来と向き合うことを避け、思い出だけにすがろうとする。その思い出の象徴が木である。木も自分がいればカスミは強く生きていけないと感じ、斧を渡して木を切るところで芝居は終わっている。ここはリアルに演じては駄目なように思う。この結末の処理の仕方や演技法はやはり納得がいかなかった。

青月ごっこ『お悩み、遅っくおん!』

「遅っくおん」が「チックオン」と読むのだということは、芝居が始まってわかった。教育大学で学び、先生になるような人は多分学校でこんな生徒を相手にして、奮闘しているのだなと思った。朝起きられないアサヒ。時間にルーズで寝坊。デジタル時計は読めても針時計は苦手。小中高、大学…とその様子に変化はない。マイクでなされる解説で、状況は次第にクリアになる。三人芝居だが、アサヒの前に現れるヨドが重要な役割を果たす。ヨドはアサヒにしか見えないいわば分身なのだが、会話の中でアサヒもヨドも発達障害を背負っていることがわかる。ヨドを演じた女性は大柄で演技力もあるので、アサヒに覆いかぶさったり、背中合わせになったり、足元に転がったり、もっと自由に動けば、面白味は一層増しただろう。暗転が多すぎるし、絶叫するせりふもその必要性が感じられなかった。ストーリーもキャラクターも掘り下げ方がまだ足りないと思う。

劇団月光斜TeamBKC『Sensibility』

最初に音合わせがあり、芝居はもう始まっている。何となく題名を予感させる出だし。五人の登場人物(男3+1、女)が繰り広げる密室劇。「いらだつな」と男がみなをなだめ、名前を聞いていく。会話が次第に成立する。ひょっとすると雨の日の夜のガレージかもしれない。「ここで夜を明かすと」「みな仲よく借金しているが」「たいそうなお金が転がり込んでくる」と四人は思っている。やがて五人目の男、高野が語り始める。…黒いリムジンや青いセダン…芝居を構成する表象的な世界は次第に浮かび上がってくるのだが、どこか全体にぼやけている。密室劇に不可欠な緊密性にどこか欠けている。台本のせいなのか、意味のない俳優の動きが精度を弱めているのか、もう一品料理(仕掛け)が必要なのか、最後まであいまいなまま終わってしまった。せりふのかみ合わせ、演技のトーンなどを検討し直して、もう一度挑戦してほしい。

スーパーマツモト2『泣けるモラル』

「知識をひけらかす」舞台だ。ポジティヴな意味でそう言っている。学生演劇はそれぐらいの生意気さがあっていい。知性を笑いのオブラートで包むやつは多くいるが、笑いを知性のオブラートで包むやつはそうはいない。そんな知性と笑いの競演(饗宴)を見させてもらった。願わくばこの猥雑な芝居で、俳優の足の表情を見たかった。劇場の構造の関係で下半身はほとんど見えないのが残念。職場の朝の集会。パート職員を含めたラジオ体操。手話や群読形式も飛び出し、夜のくるみ割り人形のように、みな演じ始める。チェーホフ、芥川、太宰、宮沢に聖書…大日本帝国の朝鮮侵略など戦後70年の歴史を振り返る出来事も登場する。磔刑の場面を演じたイエス役の男性はすぐにキャスティングしたいような逸材だ。引用に頼りすぎの感があるし、出されてくる料理はごった煮だが、妙にインパクトがある。「モラルがないこと自体がモラル」だと絶叫する。これぞ泣けるモラル!

プロフィール

【プロフィール】
1948年生。大阪大学名誉教授。1988年大阪外国語大学外国語学部助教授。1996年同大学教授。2007-2013年大阪大学文学研究科教授。
専門はドイツ文学・演劇。ブレヒト、ハイナー・ミュラーを中心にドイツ現代演劇を研究。近著にVerfremdungen(共著Rombach Verlag, 2013年)、『ワーグナーを旅する──革命と陶酔の彼方へ』(編著、松本工房、2013年)など。近訳に『デュレンマット戯曲集 第2巻、第3巻』(鳥影社、2013年、2015年)など。関西の演劇に新風を吹き込もうと、多くのドイツ演劇を翻訳し、ドラマトゥルクとしてサポートしている。10月にはブレヒトの『アルトゥロ・ウイ』を上演予定である。

【事前メッセージ】
祭だ、みんな集まろう!
市川 明

僕は祭が好きだ。あの猥雑でエネルギーあふれるカーニバルの空間に血が踊る。松本雄吉さんの維新派の上演にもこうした雰囲気があった。祭と名のつくものは何でも好きで、演劇祭は国内外を問わず、たくさん参加している。だから今回の京都学生演劇祭もわくわくする。京都の学生劇団が一堂に会して若い力をぶつけるのだから。どんな新しい作品や解釈が飛び出すのやら? 演劇の「いま」と「ここ」が空間でスパークするのを大いに楽しみたい。トイ!トイ!トイ!

出演団体推薦枠 投票結果 

出演団体がお互いに作品を鑑賞し、全国学生演劇祭の出場権を与えるにふさわしい団体を選出するべく投票を行いました。(受賞団体の幻灯劇場、劇団なかゆび、辞退した劇団速度、ソリューションにQは投票の対象から外れています。)

6票 劇団西一風
4票 スーパーマツモト2
3票 劇団べれゑ
1票 青月ごっこ

<以下、各出演団体による推薦理由>

劇団未踏座

①推薦団体:劇団西一風

②推薦理由:音響や照明変化をほとんど使わず、役者の技量や小道具等を独特に使い、観客をその世界観へ引き込んだ。作品自体に大きな笑いや祭りのような盛り上がりがあるわけではなく、一貫して静かに進み、シュールで小さく細かいところで笑いを誘うことで、うまく作品を作り上げていた。「ピントフ」というタイトルとチラシデザインから、とても壮大な芸術作品を想像していたが、蓋を開けてみるとピントフの正体は“霧吹き”であり(作品内で登場する会社では重要な商売道具なのだが)、シモハケから伸びる鉄製のベルトコンベアから流れる木箱に、社員が「ピントフ」で水を吹きかけるというただそれだけなのだが、その作品に出てくる登場人物がその世界観をしっかりと共有していてうまく観客にシュールさが伝わっていたと思う。もしも全国学生演劇祭に出る際には、その持ち前の独創性で勝負してほしい。

劇団なかゆび

①推薦団体:劇団べれゑ

②推薦理由:劇団べれゑを推薦する理由について述べる。同劇団の上演は持ちうるものすべてを導入しようという気概とそれを可能にする実力を示すものであった。超過はあったものの15分という転換時間の中で、吉田寮食堂を自劇団の色に完全に塗り替える技術は高く評価せざるを得ない。劇場を自劇団の色に塗り替えることは、現代の演劇にとって最も重要な技術である。多くの劇場はあらゆる上演に対応するため、無個性なものになっている。だから こそ、この技術はあらゆる劇団に必要とされるものである。だが、学生劇団限らず多くの劇団にはその技術がない。劇場が劇場のまま上演されるという現状を打破するには同劇団のような実力、技術ある劇団が必要である。劇団べれゑはその点において、秀でている。他劇団にはない舞台裁きで京都学生演劇祭2016での上演をやり遂げた。この団体を是非全国に紹介するべきである。以上の理由から劇団べれゑを推薦した。

雪のビ熱

①推薦団体:劇団西一風

②推薦理由:作品は、ある工場内の風景から始まり、そこから場面が変わることはない。箱のようなものを淡々と生産していく場面が続けられるのみである。しかし、その中に笑いのポイントが幾つもあったのが面白かった。
また、ピントフという不思議な名前にも興味を感ぜずにはいられなかった。
その為、淡々と生産を繰り返すという行動を45分間行っているただそれだけだが、観客を世界観に引き込むことができていたように感じた。
また、物語に出てくるそれぞれのキャラクターが確立されており、世界観をより一層確かなものにしていたように思う。
全てのキャラクターが各々の役割を持っており、世界観を上手く回せているところが、見ていて飽きることなく45分間を楽しめた一つであるように思う。
ある一つの絶妙な雰囲気を45分間保つことができた演出、それを支える演技が全国学生演劇祭にふさわしいと考えたため。

劇団月光斜

①推薦団体:青月ごっこ

②推薦理由:完成度・役者の技量共に一定以上のレベルにあり、伝えたいことが明確で分かりやすく、見ていて退屈しない工夫や面白さ、熱量を感じました。観ていて心地よいテンポも、好印象で残っています。何も考えずに見ることも深く考えて見ることもできる作品だったと思います。
また、発達障害というデリケートなテーマに対して真摯に向き合っていることが伝わってくるような、それをこの場で伝えたいという必死さが印象に残っています。実際に障害を持っている方の視点が丁寧に描かれていました。そのため、観ている側も同情ではなく真剣に観る事ができたと思います。
派手な芝居ではなかったものの、しっかりしたテーマと伝えたいことがあり、京都学生演劇祭という場所に合っているある意味でとても学生演劇らしい作品だったように思いました。以上の理由から、劇団月光斜は青月ごっこを推薦致します。

劇団べれゑ

①推薦団体:劇団べれゑ

②推薦理由:推薦のための観点として「全国学生演劇祭に出場するにふさわしい」ことを、演劇祭を盛り上げる作品の出品・地方地域の演劇ネットワークの充実という点に着目したい。この観点の上で京都学生演劇祭に出場した団体中(受賞、推薦枠辞退の4団体を除く)、推薦したいと思う団体は劇団べれゑだった。
『炬燵』という着眼点とそのモチーフから物語を展開していく脚本の面白さ、俳優・舞台装置・美術・音楽が一体となって舞台を作り上げていく総合芸術としての作品の強度、これらは評価に値すると考える。観客や審査員からの反応は当団体の公演が演劇祭を盛り上げていたことを裏付ける。
転換でのスタッフワーク、美術・衣装をしっかり作り上げるところからはフィクションを具現化させる演劇創作の力、生演奏による音のアプローチなど随所に劇団としての魅力を作品として発揮できていた。
作品中でまだ消化できていなかった演出プランやギミック・演技の昇華に期待して全国学生演劇祭出場に自推する。

劇団西一風

①推薦団体:劇団西一風

②推薦理由:まず、この制度の推薦基準には「全国学生演劇祭の出場権を与えるにふさわしい団体」とあるが、私は全国学生演劇祭の出場意義を明確に理解できていないため、「今、質の高い作品を創る学生団体」に出場権を与えるべきと考え、一団体を選出するに至った。
劇団西一風は作品づくりにおける、俳優 モノ 空間 言葉、に対する姿勢と、それらの構成が良かった。
それぞれを作品で使用することに対して切実であり、それぞれが発動する必然性を強く感じた。観客との距離感を上手く見極められていたため、劇場一体として質の高い時間が流れていたと思う。
作品の中身は、等質な会話や演技の連続によって構成されており、それらは瞬間的に消費されていく。だがそれらは消費されることを前提に配置されており、意味性と価値について批評性も感じられた。
これらの理由から、私は劇団西一風を出演団体推薦枠として自薦する。

遊自由不断、

①推薦団体:スーパーマツモト2

②推薦理由:「泣けるモラル」。冒頭から、あぁこれは恐ろしい作品だなぁ…と。物語のパーツが壊れていること、そしてその破壊を孕んだ要素が集合して、分散して作られている45分間だという印象を受けました。ストーリーが分かりやすく提示されているようなものではありませんでしたが、目の前で繰り広げられることから目を離させない何かを感じました。決して温かくない。冷たくもない。ただの破壊。目を背けたくなるような何かが提示されても、なぜだか目を離せず見届けてしまう。この作品は僕にはとても魅力的に見えました。他の団体と比較して語れるものでもないのですが。自叙伝のようなこの作品が持つ「攻撃性」と「笑い」の融合、こういったものが全国でも見てみたい。推薦理由は以上です。

ソリューションにQ

①推薦団体:スーパーマツモト2

②推薦理由:全国学生演劇祭に推薦するにあたり、いくつかの団体で最後まで迷いました。その中でもスーマツ2には、最も「全国で何をやるんだろう、どうなっちゃうんだろう」という、好奇心転じて期待感、危機感転じて高揚感を覚えることができました。僕は期待屋なので、同じような完成度では退屈します。全国ではさらに違う、全国だからこそ変わってしまえる作品を僕は全国に望みます。さらに、誤解を恐れずに言うと、僕は作・演出の、すっ太郎という人を個人的に知っています。この人は、どうやら全国を見据えて京都学生演劇祭出場作品作りをしていたらしい節があります。しかし気持ちだけでなく力もあります。そこでどうなるかはわかりませんが「やってしまえ」と思います。そういう、人と時代や場所が交錯して生まれるドラマとある種の不安定性、ヒリヒリした感覚が全国 に欲しくなってしまいました。以上の理由から、ソリューションにQはスーパーマツモト2を推薦します。

劇団速度

①推薦団体:スーパーマツモト2

②推薦理由:劇団速度はスーパーマツモト2に投票します。
泣けるモラルを見たときに、思ったのは、作者(この場合すっ太郎)の影が、ここまで作品に透けて見えるのも珍しいのではないかということでした。みはじめてからしばらくは、脈絡のないコラージュ作品、それも借り物の演出と借り物のテキストを組み合わせたようなシーンのコラージュ作品のようにみていました。
実際に、それはそうだと今でも思っていますが、作者の存在感は凄かったです。個人的に付き合いがあるとか、そういうことなのかもしれませんが、すっ太郎という人物を見せつけられているようでした。
内容は決して良いものであったとは言えませんが、作者の影を色濃く見せつけられてなお、最後まで見ることのできる貴重な作品だと思っています。
再び同じような路線をいくのか、あるいは転換するのか、とても気になります。ぜひ、もう一度見てみたいと思いましたので、スーパーマツモト2を推薦したいと思います。

幻灯劇場

①推薦団体:劇団西一風

②推薦理由:「西一風」色、というものが、西一風には毎公演どこかあるように思ってきたが、今回はその色を払拭してまた新たな劇団色が出てきたように感じられた。私にとってそれは3年前から一ファンとしての嬉しさ半面、独自の視点の切り取り方に演劇人として悔しさすら感じられた。今回の舞台上は「不必要」なもので溢れていた。ピントフ、言わばただの霧吹きである、それらがベルトコンベアに流されて落ちるだけ、ただそれだけのことにここまで多くの観客が心を掴まれ、霧吹きが落ちる度に多くの笑いが起こる。そんなこと、最早狂気の沙汰ではないかと思った。しかし、私もその狂気に包まれていた。やはり悔しいばかりである。西一風にはそのような客を包む力がある。私は、その力をぜひ、全国でも見てみたい、そして観客に狂気に包まれてもらいたいと思った。

劇団紫

①推薦団体:劇団西一風

②推薦理由:どこかに存在しそうな単純労働の工場から話が始まり、段々とその工場の持つ独自の奇妙な世界を展開していき徐々に観客をシュールなピントフズの世界観に引きずり込んでいくのが良いと思った。
笑う場所で笑いやすく、同じ内容で笑いを繰り返しとるけれど、それがしつこくないのも良かった。日常で存在する普通の出来事をピントフに置き換えるだけで面白くするセンスも良かった。
どの役者も地味になり過ぎず、目立ち過ぎず、役者一人一人が魅せるべき場所でしっかりそのキャラクターの個性を出せていて、役者の良さ、配役の良さ、演出の良さを感じた。
舞台美術や小道具は無駄なもの、不足していると思うものがなく、全てを有効利用していたのも良かった。特にベルトコンベアーは一番活用されていたと思う。
脚本、演出、台本、役者、スタッフワーク、全てが揃っている団体だった。

青月ごっこ

①推薦団体:劇団西一風

②推薦理由:この団体を推薦するに至った、要因を2点挙げる。
・今回の京都学生演劇祭の会議段階で「演劇を今まで見たことない人に見てほしい」また、「演劇の『祭』であるので、祭感を出したい」ということを伺っておりました。演劇に関わると「学生演劇」や「小劇場」という言うだけで、劇場へ向かうことに躊躇う方も少なくはないと痛感する。が、それらの負のイメージの払拭に相応しいく、観劇するのは楽しいものだと感じられた作品であった。そして、なによりも演劇の『祭』らしい作品でもあった。
・物語に万人に受け入れるものは存在しないと考える。なぜなら物語は、それを見る個人の好みが、どうしても付きまとうからである。なので、この推薦は私自身の好みであるのかもしれない。何も考えられず楽しめた作品の1つであったので、いろんな人に見てほしいと素直にそう感じた作品であった。

劇団月光斜TeamBKC

①推薦団体:劇団べれゑ

②推薦理由:今回劇団べれゑさんを出演団体推薦枠として推薦する理由は、一つに演劇が総合芸術であるという観点から、演出方法や俳優の技量から主だって判断するのではなくその他すべての要素からも同等に鑑み、その総合的な作品としてのポイントを比較した際に優れていると考えられることにあり、もう一つには、約半年の期間を経てもう一度同じ作品が別の会場で上演されることを考えた際、もう一度見たいと思うか、またその作品がさらに変化する可能性を持っているかを考えた際に、『炬燵』が最もその要点に当てはまっているのではないかと考えられるからです。
 総合的な作品としてのポイントに関しては、舞台転換の15分間をフルに使って舞台装置を設置し、また音響照明映像の使い方にも工夫が凝らされており、45分の作品の中に詰められたエネルギーが他の作品と比較してより多様な形で感じることができました。また、もう一度上演される作品として考えた際、特に舞台装置や映像の面で更なる飛躍があるのではないかと考えられ、それが結果として演出方法にも影響を与え、さらに刺激を与えてくれる作品になるのではないだろうかと感じられました。
 以上の点より、劇団べれゑさんの『炬燵』を出演団体推薦枠に推薦させていただきます。

スーパーマツモト2

①推薦団体:スーパーマツモト2

②推薦理由:全国に推す団体を決める上で一番大事だと思ったのはノースホールでの再演(京都でのフィードバックを受けて再創造されたもの)が観たいかどうかということです。
再演性。これは今回じゃなくても、僕が演劇や映画に強く求めるものです。再演に耐え得る作品か。観客がまた観たいか。作者がまた上演したいか。つまり、上演のたびに新しい発見などの生産が期待できるかということです。例えば細田守の映画は一回観たら大体分かるので全然再演性が無いと思ってます。
ロームシアターのノースホール、吉田寮食堂とは比べ物にならないくらい大きく、さらには拡張高い劇場の地下二階。完全に外界の気配を遮断できるホールです。今度は客席の後の方からでも地面が見えるでしょう。
そうしたことを考えた時にもう一度観てみたいと思えるのは「練度の上がった『炬燵』」か「散らかり過ぎてない『泣けるモラル』」です。『ピントフズ』はノースホールでの再演はあんまりだと思いますが、作者の作家性を考えると新作(もしくは思い切った再創造)にかなり期待できます。



観劇レポート

4名の方々に「京都学生演劇祭2016」の総評と、全14作品について、観劇レポーターを担当していただきました。その観劇レポートを掲載いたします。

大原渉平氏

全体として

14団体、すべての作品を観させていただくのがこんなに大変だとは思いませんでした。それくらい、僕も本気で観てしまいましたし、各団体のみなさまもそれ以上の大変さの上で発表に臨まれたのだと思います。
はじめ、僕は軽い気持ちで観劇レポーターに応募しました。学生劇団で活動経験のない自分にとって、それがどういうものであるかを覗いてみたかった、そんな事が動機でした。
4日間にわたり観劇をする中で、自分が何者として学生の方の作品を観ているのかということを、とても考えました。結論からいうと、僕は自身の本職である劇作家・演出家としてみなさんの作品を観ました。なにを当たり前な!という感じですが、観客でもなく、劇評家でもなく、作り手だからこそ感じる部分をレポートすることでみなさんと関わることができればと思います。そして同時に、このレポートの対象は、おそらく参加団体のみなさんであるとも感じます。これは、実行委員の方にお聞きできればと思っていたのですが、この観劇レポートがだれのためにあるべきか、ということを考えていました。すべての団体の作品を観る中で、僕は作り手として、作り手のみなさんへ、レポートをしたいと感じました。(もちろん、それらが同時に観客や学生劇団・京都演劇シーンを盛り上げてくださる方々にも見ていただきたい・読んでいただきたい文章であることは間違いありません。)
文章を書くのはとても苦手なのですが、観劇をして感じた思いを伝えることができればと思いレポートを書きました。よろしくお願いします。

ともかく、今回観劇をすることができ、大変疲れましたし、心から良かったと思っています。

素直な事を言うと、とてもみなさんセンスがあるんだな、と思いました。そして同時にそれを実現させるための技術や、その表現に説得力を持たすための方法の探究がまだまだ必要であるとも感じました。
僕は演劇は観るのも、創るのも好きです。そして、苦しいのなら演劇なんて創らなくてもいいと思っています。ですから、学生劇団のみなさんがこれからも作品を作り続ける必要なんてないのかもしれません。
ですが、「いや、どうしても私がこれを上演しなきゃいけないんだ」っていう強い思いが、今後みなさんの作品を鍛え、磨き上げ、作者だけでなくその作品の受け手となる人たちにとっても大事な作品になる、そんなことに繋がっていくのだと思います。
これからも皆さんの作品を観ることができることを願っています。
そして、僕自身も負けないように創作に挑んでいきたいと思います。
本当にお疲れ様でした。

大原渉平 

劇団未踏座

興味深く観ました。この演目の見方をわかるまでに時間がかかりました。繊細な人間の悩みや葛藤を描きながらも、時折冗談や笑える所などを織り交ぜている事が、そう思わせた理由でした。もちろん、それらはどんな演目であっても同時に扱うことができると思いますが、今回の演目ではその前提のがわかりづらかったです。
この演目で、俳優さんの選択した演技の方法が本当に適しているのかどうか、という探求がもっとあればいいと感じます。今回、セリフの言い始めを突発的に声をはっているように聞こえました。登場人物が存在する場所はどこなのか。屋内/屋外、プライベートな場所/公共の場所。また、演出家が台本をどう扱おうとしているのか。そういった事を考慮した上で、演技の選択をしていくという方針が見えてくるのだと僕は考えます。
今回の作者(作家・演出家)さんが描きたいイメージを、俳優と共に徹底的に思考することができれば、「どう観たらいいのかわからない」という問題もクリアされるのではと思います。お芝居の種類や方法の探求があれば、もっと面白くなると感じます。
楽しませていただきました。ありがとうございました。

劇団なかゆび

ぎょっとするシーンや、興味深いセリフが多かったです。「玉音放送」というアナウンスについても、個人的にはそれが何を持って「玉音放送」と言い切られているのか、などたくさん気になることがありました。
プロフィールあった「本質的学生演劇」が、どういうことなのかをずっと考えていました。終演後、神田さん聞くと「学業を本分とすべき学生が行うお芝居は、学業をお芝居に流用すること」というようなことでした。それを学生劇団であるとひとまず定義することはとても面白い考え方だなと感じました。
僕には今回の作品が、 (僕にとっては)難しいセリフ・言い回し、社会で起こっていることを想起させるようなセリフが舞台上に現れるだけで、それが有機的になにかのイメージを描いていなかったのではないかと感じました。もしかしたら、俳優の技術の問題かもしれませんが、要するにに面白そうな要素がたくさんあったのに、うまく重なって見えなかったなと感じましたのです。
つまり、神田さんが用意した今作の前提と、観客が今作を観るに当たっての前提に、ズレがあったように感じました。神田さんの学生劇団の定義やそういった態度を、もっと上演単体から感じることができれば、もっと効果的にセリフやイメージが立ち上がるのではないかと思います。
ただ、神田さんの意気込みは大変好印象ですし、今後も作品を観てみたいと思いました。
楽しませていただきました。ありがとうございました。

劇団月光斜

観客から見た「画」にとても繊細になって作品を作られているに感じました。これまで彼らが信じてきた体の扱い方を団員同士で一定の共有がなされており、演出の意図する画を描くことができたのだと思いました。
だとしたら今回の作品の内容をもっとシンプルにするべきだったんじゃないかと感じました。
画の美しさを作品の決め手のひとつとするのだとしたら、45分という短い時間の中で、作者(作家・演出家)が一番に舞台上に立ち上げたい事を突き詰めることができれば、今回のような体を使った表現もクリティカルに観客に届くのではないかと思います。
また、照明への関心の無さを感じました。たしかに今回、お芝居と一緒に流れるように照明が点灯するのですが、例えば男性の背後の2人の人物にはあの明かりでよいのか、など徹底的にビジュアルを詰めていくことも説得力を勝ち取る方法だと思います。演劇祭という枠での照明プランの限界というものがあるのかもわからないですが、それは観客とは関係のないことなのでそこにも徹底的にこだわって欲しかったです。
僕は、やはり今だと高畑淳子さんを思い浮かべて作品を観ました。例えば、子離れという一点に集中して45分の作品を作ってみるのも、シンプルで強度のある作品がつくれるんじゃないだろうかと思いました。
楽しませていただきました。ありがとうございました。

劇団べれゑ

演劇祭という限られた枠の中で、このような舞台美術を中心とした取り組みはとても好感を持ちました。
はじめは戸惑いながら見ていました。派手な衣装やメイク、音響、照明変化。そして舞台美術。そして「炬燵」について語られる物語。悩みながらも、これは壮大な冗談なのではないか、はじめから力を抜いて見ればいいのではないか、という思いに至りました。炬燵というものに対しての、そのユニークさは素敵だと思いました。
だとすると、もっと振り切ってほしかったです。スモークなどが使用されていましたが、なぜこれらが使用されているのかわからなかったのですが、このお芝居の見方をつかんだ時「もっとやってほしい」とそう思いました。スモークに限らず、金銀の紙吹雪、またLEDライトを持ち込んでど派手に効果を出し、なんなら火気を用いるなどして、「炬燵」というたったそれだけのワンアイデアを爆発的に昇華させることもできたように思います。だからもっと振り切って、もっとお客さんに「なんでやねん」て思わせて欲しかった。そんな魅力のあるアイデアのつまった作品だったと思います。
ただ高校演劇の大会ではないとはいえ、ひとつの企画の中で仕込み時間の厳守というものが求められうようにも思います。そこを守り抜いた上で、あの美術であれば尚よかったように思います。
楽しませていただきました。ありがとうございました。

雪のビ熱

三団体連続上演の形をとっているので、前団体との比較はありました。月光斜・べれゑときて雪のビ熱だったので、相対的に力を抜いて見ることができ、それがとても良かったです。
観客は、演劇を常識と摺合せながら観るものだと僕は考えます。だからセリフに嘘っぽいだの、展開に無理があるだの、そういういった感想がうまれるのだと思います。その点で、今回の台本はとても興味深かったです。「え、そんなことわざわざ言うん?」っていう単語や言い回しを随所に感じ、それらがとても不毛なやりとりに感じました。しかしです。それは同時にある種の女子たちにとって圧倒的な事実であり常識なのだと感じました。ガールズトークというものは結局不毛なものかもしれない、それを意図した伊藤さんは面白いなと思いました。彼女が女子であることを「手段」にしたというところです。
ですが物語の中盤で、物語の「目的」が女子にある、そんな風に感じる時間がありました。そこは僕はつまらなかったです。女子の悩みというものを客席に共有させることがこのお芝居の目的なの?と感じる時間に感じました。そこについてはあまり興味を示せませんでした。
とても可能性のあるチームのように感じたのでまた作品を見たいと思わされました。ガールズの不毛なトークを用いて、もっと現代社会をえぐって欲しいです。
楽しませていただきました。ありがとうござ いました!

ソリューションにQ

愛嬌のある作品・俳優たちだと感じ好印象でした。
全体を通して、「演劇でみるべきもの」ってなんだろうと考えていました。「演劇で描くからこそ、面白さや奥深さが更に豊かになるもの」があると僕は考えます。今回の作品は違うメディアで見たほうが楽しめるんじゃないかと感じました。
お話はわかりやすくシンプルだったのですが、作家役の人が描いた「約100年後」の世界が上演時間の大半を占める場合、どうすればその設定に説得力が獲得できるのかという事にもっとシビアになる必要があるのではないかと感じました。他にも、全員白い色をした衣装でしたが、現実の世界の住人と、100年後の妄想の中の人物の衣装は、もしかしたら変化が必要なのでは?ということも感じました。それはビジュアルだけの話ではなく、演じ方や、舞台上の使い方などすみずみまで、もっと思考することで作品の質が上がるように感じました。そういったテクニックの部分が、もっとこの作品の強度を高めてくれるように感じました。
楽しませていただきました。ありがとうございました。

劇団西一風

作品として、整頓されていて見やすかったです。思わずこれを書く前に「ピントフ」とググってしまいました。非常に上演を想定して、作品を作られていることがよかったと思いました。なにを当然のことを、と思われるかもしれませんが、実際に生の空間で上演するということを想定できているかどうか、ということは大きく作品の説得力に関わってくると思います。例えば、あの大きなコンベアが登場したこと・たくさんのピントフたちが登場したこと。 それらは、やはり上演するという目的のために、しっかりと計画されたプランであったと感じました。モノの説得力はとてもこの作品の強度を高めたと思いました。
途中まで、たくさん笑ったのですが、僕は早めにそれに頭打ちがきました。
僕は、演劇を観ることの魅力の一つに、舞台上で描かれる時間と共に、現実世界で流れている時間・社会を捉えなすことができる、という側面があると思いますし、それはとても現代演劇をやる上で大切だと感じます。
45分間飽きることなく楽しめたのですが、もっと深いことや大きなイメージを抱えることができる余地のある作品に思えました。もちろん今回の作品でもたくさんのことを想像できました。しかし、もっと「ひや っ」としたり「ドキリ」としたりできたんじゃないか、そんなことを僕は期待してしまいました。
とても楽しませていただきました。ありがとうございました。

遊自由不断、

この作品をどう観たらいいのか、最後まで悩みながら観ました。
登場人物がどういう動機でぶつかっているのか、また共感し合っているのか、うまく捉えられませんでした。
演出効果としてもいろんな要素があったと思います。映像であったり、ダンスであったり。そういったものが、どうお芝居にからんでいるのか、もっと探求することでこの作品の強度が増すのではないかと僕は思いました。とくに 映像で出てきた言葉が、直前まで行われていたシーンのダイジェストであったり、そのシーンのキーワードの復唱という効果にしかなっていなかったのではないかと感じました。あえてシーンと違ったイメージを映像の文字で表すことで、さらにお芝居にイメージの深みが出たり、意味が豊かになるのではと思います。またタイトルにもある「花」を、もしかしたら舞台上で生のものを扱うということもひとつ手段だったと思います。もちろん最後の墨汁の効果など大変だとは思うのですが、そこに徹底的に挑むことで、生で観る舞台芸術の強さを見せることができるのではと僕は思いました。
楽しませていただきました。ありがとうございました。

劇団紫

木の役をしていた俳優さんがとてもよかったように思います。声がクリアに聞こえることや、木という一見冗談のような役を、リアリティとはまた違った観点で成立させてたように思いました。
他団体の作品を観ても感じることが多かったのですが、学生劇団という固定のメンバーがいる中で、そのメンバーを徹底的に研究し、各俳優さんの持ち味を生かすための方法を考えるのも、作品を作る上でとても大切だと 僕は考えます。
その意味では、木の役の方は素晴らしかったと思いました。僕はよく小学生のお芝居を観たりするのですが、こどもたちがお芝居するときにしか出せない味や雰囲気、そんなものを彼女に感じました。それはけして見た目やお芝居が幼いという悪い意味ではありません。彼女の、演技をするという態度と「木の役」というのが会っていたように思いました。
「病」というものの扱い方はとても繊細にならなければいけないと思います。たしかに作品をつくる上で・物語の中で便利な要素です。しかし、同時にその要素への描写の仕方が求められると思います。例えばコントであればいいのかもしれませんが、今回の作品は必ずしもそういういことではないと思うので、「病」を前提にするために必要な技術があれば、もっと作品の中身・木を巡る人々の様子が面白く観ることができたんじゃないかと感じました。
楽しませていただきました。ありがとうございました。

劇団速度

面白かったです。他の団体にはない「美学」のようなものを感じました。「舞台上でなにかが起こる」ということに非常に高い関心を持った人たちがつくっていると感じました。とくに他の団体よりも照明効果への意識のされ方が違っていたように感じました。それは派手さや美しさという観点ではなく、作品にとって必要な照明を考えられている、という部分です。そこが、速度さんは綺麗で作品の中身と有機的に連動していたと感じました。
僕が面白かったのは、この作品が持つ意味ということというよりは、この作品からたくさんのイメージを拾い集めることができたからでした。話の内容や、細かいコンセプトを理解できたわけではまるでないのですが、あの緊張感を僕はどこかで知っているかもしれない。そして、それはみんなにとって大切なものかもしれない、なんていう大きなイメージへの飛躍を期待できたんじゃないかと感じました。そういった部分で面白く拝見しました。
ただ、後半から俳優が映像の文字を認識しだすところからが僕はよくわかりませんでした。あの登場人物にとって映像とはなんなのか、どういう関係をもっているのか。そこが僕としては解決できませんでした。
楽しませていただきました。ありがとうございました。

幻灯劇場

非常に観やすく、引き込まれる演技で、安心感のある作品に感じました。とくに俳優さんの演技が見やすく、かなりクリアにセリフが聞こえていたことはとても好印象でした。
幻灯劇場さんはとても俳優さんとセリフの相性がいいように感じましたし、聴き心地もよかったです。ひとつひとつのセリフを自身で捉え直して、口に出す、そういう行いをしっかりやられていたのかなと感じました。
安心感がある作品といいました。とくにテンポやことばあそびなどは観ていて心地よかったのですが、これまで僕が見てきた、そういったことば遊びを扱う作品などと見比べながら観ている自分もいたことも事実です。そこで、なにかひとつ幻灯劇場さんでしか観れないものが立ち上がっていれば、もっと僕は楽しめたかもしれません。もちろん、大前提として今回出演されていたみなさん自身が、まぎれもなく幻灯劇場さんでしか観れないそのものであることは間違いないのですが、それを踏まえてさらに幻灯劇場たらしめるものを期待してしまいました。それくらいに安定感があったことも同時に感じました。
楽しませていただきました。ありがとうございました。

スーパーマツモト2

たくさんの試みと大勢の出演者に圧倒されたのですが、なにかを作品から受け取ることは僕はできませんでした。
僕は「わかりやすさ」ということについていつも考えます。「わかりやすさ」というものは本当に必要なのか?
たしかになんでもかんでも「わかりやすさ」というものを求めてしまうと、作品の広がりや深みは閉ざされてしまいます。しかし、作品完成という目的を見据えたとき、数ある手段の中から「わかりやすさ」ということを用いることもひとつの社会性だと僕は考えます。
今回の作品は、とても取り組みたいことや語りたいことがたくさんあったと感じました。しかし、僕にはそれらがアイデアの域を出なかったように感じました。ある演出効果を用いたいとして、それが作品や、その文脈・前後関係と有機的に関連しないとき、その演出効果は「演出」ではなく「アイデア」のまま舞台上にあがってしまうと僕は考えます。今回の作品で行われている数々の取り組みについて、僕は観客としては、うまく前後の関係を結ぶことができませんでした。なのでアイデアの連続を観ているような気分になりました。
とはいいつつも、全体の喧騒や、せわしなさがなにかのイメージに見えたり繋がるような期待もたくさん持ちました。また作品を観てみたいと感じました。
楽しませていただき ました。ありがとうございました。

青月ごっこ

見やすく好印象でした。できごとを重く・暗くなりがちなことを、ポップに伝えることに成功していたように感じました。最後まで見た時に、発達障害のことについての話だとその時に理解したのですが、総合的にこの作品の目的がどこにあるのだろうということをぼんやり考えました。例えば、そういったモチーフをつかったコント・喜劇、ということでもいいし、そういうモチーフを説明するための教材のような演劇、ということでもいいかもしれません。また作者の体験などをだれかに共有する手段としての演劇でもありえるかもしれません。と もかく、今回の作品がどのような風合いで観客に届くことを目指されたものなのか、ということが気になりました。
また、それにも関連するのですが、今回の観劇者の大多数は学生や20代前後の、比較的演者と近い世代・価値観の人達だったのではないかと想像しています。そして、おそらくそういった人たちに見てもらうことを無意識に捉え、作品を作られたように思いました。としたところで、自分たちと遠い価値観の人が観たらどう感じるだろう、という想像力が働ければ、今回の作品の意義や面白さというものはもっと強度をますのではないか、とも感じました。
楽しませていただきました。ありがとうございました。

劇団月光斜TeamBKC

今回の作品の前提についていくのは少し難しかったです。登場人物たちが争っている理由などがよく伝わってこなかったように感じました。もちろん、台本上の流れや理屈としてはわかるのですが、それがお芝居から見えてこなかったんじゃないかと考えます。
個人的には理由はいくつかあるように感じました。まず、これは他の団体にも大いにいえることではあるのですが、空間にあった演技のボリュームや雰囲気、質感・・・といったものがあるのではないかと僕は考えます。今回は密室のお話であったと思うのですが、そういった台本の設定と、演出家がどういった作品にしたいのかという方針をもとに演技の方法を考えることができれば、もっと迫真のやりとりになり人物の背景に説得力がでるのではないかと感じました。
たしかにセリフひとつひとつを大切にされていたようにも感じましたし、しっかりと発語されていたのだとも思います。しかし、それだけにとどまらず、そのセリフは相手に・作品に・観客にどうった効果をもたらすのだろう、ということを想像することができればもっと強度のある作品になるのではないか、そう感じました。
楽しませていただきました。ありがとうございました。

プロフィール

プロフィール
京都で作家・演出家として活動し、劇団しようよという劇団を運営しています。

事前コメント
僕は高校から演劇をはじめ、10年ほど演劇位に携わってきました。これまで僕は学生劇団というものに所属したことはありません。なので、学生演劇祭という互いを切磋琢磨し合える環境をとても羨ましく思います。舞台芸術に関わることでしか味わえない喜びや苦悩。そんなものに学生劇団の方々がどのように向き合っておられるのか。覗いてみたくなり、観劇レポートに参加させていただきました。思わず心が動くような作品に出会えることを楽しみにしています。

合田団地氏

全体の感想

全体的に難しい話をする劇団が多かったように思った。難しいことは別に悪いわけではないのだけれど、頭で考えすぎてしまって、等身大の良さを消してしまっているのはもったいないと思った。コメディが少なかったせいもあるけれど、真面目でいなきゃいけないと思っているような印象。自分たちが好きなことを好きなようにやれている劇団が魅力的だと思った。

劇団未踏座

どうしてレイプ犯という設定が必要だったのだろう。悪いやつと思われた登場人物が悪くなってしまった理由が提示され見え方が変わる、というのは確かに感動的なのだけれど、あまりにレイプ犯というものは強烈過ぎて、そのあと劇中にどれだけフォローを入れたとしても、もう嫌悪感は払拭されない。自殺も、本当にそれ以外になかっただろうか。
構成は良いと思った。感動できる話だと思った。三人の関係性が時間が経つにつれて、変わっていくのも面白かった。自暴自棄になる気持ちも共感はできる。
でも、感動させるためのあらすじが先立ってしまっていると思った。感動できる話にするために犠牲にしているものが多過ぎる気がする。人間を感動させるための道具にすることは下品なことだと思う。とにかく他人が描けてなくて、同じ目的に向かって存在していると感じた。もっと丁寧に人間というものを描くようにすれば、台本も劇的に良くなると思う。

劇団なかゆび

はじめに玉音放送。「彼らを愛さないでください」の彼らとは一体誰のことを指しているのか、迷ってしまった。登場人物のことを指しているのか、演じている役者のことなのか、登場人物から想像できる現実の人々のことなのか。迷えることも楽しくて、またどのように観ればいいかわかって観やすかった。
喋っている内容の小難しさも面白かったけど、黙っている時間が面白かった。その沈黙のおかげで、彼らが置かれている状況や空間の狭さ、また彼らの反省や戸惑いに思いを馳せられたから良かった。
それから転調。それまで存在しなかった客席が突然出現する。余裕を持って、安全な場所から彼らを観察していたのができなくなる。その緊張感もまた良かった。沈黙はなくなり、彼らは神になっていく。その姿を愛することなく、冷笑的に見守る。
死刑囚の話を思い出した。いつ執行されるかわからない恐怖がいつまでも続くと、自分を神として思い込むそうだ。

劇団月光斜

一人の人間の心のうちを二人で表現するのは、良いアイディアだと思った。感情はその瞬間に一つだけのものではなくて、複数の、それも矛盾する感情が同時に存在するものだと思う。また、それぞれ心のうちを表現する役者のそれぞれにも、感情や葛藤が見え隠れするのが面白かった。本当ならば、内面の内面を表現する役者をつければ、より正確に一人の人間というものを出現されることができるのだろうけれど、そんなことをしてしまっては舞台上の収集がつかないしやりたいこととも違うだろうから、別にしなくても良かった。でも、内面の内面を、考えられることはとても面白いし、リアリティがあると思った。
題材選びは失敗だと思う。どうしてシャガール。だったらどうして主人公は絵を描かないのだろうかと思ったし、シャガールの絵の代わりに小説で良かったんじゃないかとも思った。演技体とは不一致だと思うし、物語とも相性が悪いと思う。小説を書くときって、どんどん内側にこもっていく作業だと思う。周囲のことを捨てていく作業。殺しに向かうような母親に固執するようなことにはならないんじゃないかしら。
あと、固執させるほどの母親からの愛情も描かれてなかったし、結末の説得力を感じられなかった。

劇団べれゑ

まず舞台装置に目を奪われた。転換に時間が取れない中で、あれだけの物量が舞台上にあるということは魅力的で、なおかつその散らかり方から生活が堕落しているのが読み取れる。どういったものが見られるのだろうと胸が高鳴ったし、炬燵がぐるぐる回り出したのは、もう最高だった。
物語も、湿度が高い感じで面白いと思った。昭和ってこんな感じだったのだろうな。暗くてジメジメと湿度が高くてって思いを馳せるくらい面白かった。途中から、一体なんの話なのかよくわからなくなってくるのも良かった。炬燵、人為的堕落装置を中心に据えているが、それ以外のところは崩れていくのは本当に好みで面白かった。
面白かったけど、もっとよくわからないものができたんじゃないかと思う。よくわからないところまで連れて行ってもらえるかなと思ったけど、どうしても理性が残ってしまった。この点から考えると、炬燵を人為的堕落装置として見立てたことは失敗だったんじゃないかと思う。失敗は言い過ぎにしても、最後まで炬燵にこだわる必要はなかったんじゃないかな。炬燵をそういう風に扱うのはあまりに納得できてしまうし、理屈が通り過ぎてしまう。この設定で物語を進める以上、発想の自由度がかなり制限されていたのではないだろうか。

雪のビ熱

前半の回想の連続は、テンポも良くて面白かった。次々とシーンが始まっては終わって、その目まぐるしさの中から、この人たちはこういう人たちでこういう関係があって、とだんだんわかってくる。舞台上以上の広がりが見えて、登場人物たちが愛おしく思えてくる。
後半になるにつれて、なんというか情報量が急にしぼんでしまったように思えた。台本もよくある感動できる型に当てはめているだけのように感じたし、役者も同様に女子っぽさをなぞっているだけのように感じた。前半の自由さから一転して、後半は窮屈だった。
女子っぽさという言葉にとらわれてしまったのだろうな。もったいない。今までにあった女子っぽさをサンプルに使おうと思えば、どうしても古臭くなるし嘘にもなる。自分たちなりの女子っぽさを追及するだけで十分だ。もしかしたら女子っぽさなんて考えずにただただ素直に自分たちを舞台上に乗せるだけの方が、より可愛く魅力的だったかもしれない。

ソリューションにQ

よくできた物語だと思った。今大会の中で一番物語に強度があったんじゃないかしら。PS4とかのアクションゲームを見ているような気持ちで見ていた。
王道の話の中に、世界への不信感が不意に顔を出すのが嬉しかった。その不信感は具体的にどこに出ていたかと問われると、ちょっとわからないけど。人生のうまくいかなさを大前提に書かれていたような気がする。
自分が書いた小説の中に入っていくという設定に、メタフィクションを期待したのだけれどそうではなかった。

劇団西一風

面白かった。一番たくさん笑った。
ローテンションで話されているのが、愉快でたまらなかった。一定に流れてくる箱が舞台上にリズムを生み、そのお陰で会話に間があったとしても舞台上の空気が澱むことがなく、退屈することがなかった。
「何がです?」という言葉が頻繁に使われていて効果的だと思った。誰かが何か言って、新人が「何がです?」と尋ねて、尋ねられたことに詳しく答える。というやりとりが多かった。「何がです?」と尋ねれば、答えを待つ体勢になる。緊張感が生まれる。答える側は最初の一言で十分伝わっていると思い油断しているところに「何がです?」と尋ねられるので慌ててしまう。慌てながら考える。長い時間。慌てながらの答えは的を外す。これが緩和になって笑いが生まれる。「何がです?」という言葉によって、劇中に大喜利の構造が生まれていたのだと思う。

遊自由不断、

どうしてこんな気分にならないといけないのだろう、と思いながら見ていた。悪いやつに徹してもらえれば、爽快感も生まれてくるかもしれなかったけれど、そんな印象も覚えず。ちょうど不快感しか覚えない感じになってしまっていて、救いを用意するか悪過ぎるかどっちかにしてもらえたら見易かったかな。
篠原君が作、演出を担当して、主役もして。篠原君のための芝居だと思った。彼が格好良く見えるような筋立てだったと思うし。彼のファンなら面白く見られただろうけど、そうじゃない人には辛かったんじゃないだろうか。僕は辛かった。

劇団速度

面白かったかもしれないけれど、よくわからなかった。申し訳ない。上手の字幕がうまく見えなかったせいもあると思うけど、舞台上で何が起きているのかうまくとらえることができなかった。
そういうやつがこの文章を書いていると思って読んで欲しい。
空気がうまく作れていなかったと思う。何が起きているかわからないにしても、迫力や緊張感があれば、惹き付けられていたと思う。例えば、Aが倒れたときにもっとびっくりできれば良かったのだけど、それがなかった。
明る過ぎたのかもしれないと思う。
ラジオの音が鳴り、AとB、或いはCが触れ合い、電車が通り、Bが暴れて、と舞台上のできごとが何重にも重なって情報量が増えてきて面白く思えてきたところで、後ろの幕に字幕がうつり、情報が整理された。せっかく混沌として熱を帯びてきたのに、それで醒めてしまった。

幻灯劇場

言葉遊びの部分で、どうしてもブレーキになってしまって乗れなかった。言葉遊びがうまければうまいほど、「うまいね」という気持ちになってしまう。というのも、その言葉遊びが一生懸命頭をひねって作られたもののように感じたし、さりげなく聞こえなかった。言葉遊びの台詞の直前に、聞かせるための時間があって一瞬構えさせられたような気がした。もっとさりげなく聞こえれば印象は違うかもしれない。徹底して言葉遊びをすることは真面目だと思うし言葉としての面白さを担保してくれるものだと思うけれど、その縛りのせいでなんだかスケールが小さくなっていると思われてならない。もっと世界観の跳躍して欲しかった。あと、ヒトラーという存在をどう捕らえればいいのかよくわからなくなってしまった。
最後までストレスなく観れたから面白かったと思う。

劇団紫

笑うのは笑ったのだけれど、「小梅太夫で笑ったら即引退」的に面白い部分もあったけれど、どうも良いものだとは思わなかった。あまりに想像力や常識が欠落していて、そのせいで楽しめなかった。下手でもいいと思うし、頭が悪くてもいいと思うけれど、最低限のものは持っていて欲しい。せっかく感動できるような優しい話にしているのだからこそ、喜んで欲しいと思って作っているのだからこそ。今のままでは誰のことも救うことができないと思う。

劇団月光斜TeamBKC

はじめに目的ありきで書かれているような印象を受けた。そのせいでないがしろにされているものが多いような気がする。登場人物の物分り良過ぎると思ったし、すぐに気分が元に戻ったり、一人だけ障害を持っていないせいで彼らが何故集められたのかわからなかったり。怒るということがはじめにあって、無理矢理怒らせているような印象。そもそもどうして障害を持っている人たちが集められたのかは、ちょっとわからなくて引っかかってしまう。話すべき動機が見えないのに話し出すから、それはストレス。
もっと容赦ないくらい残酷であってもいいのになあ。
アニメのような演技には、申し訳ないけど受け付けない。

スーパーマツモト2

コメディという触れ込みであれば、笑えるものを期待する。
確かにコメディだと思った。皮肉やパロディやシーンの突拍子もない変化など。難しい笑いを志しているなという印象だった。フレーズは笑えそうなものが散りばめられていた気がするけど。
ほとんど笑えずに終わってしまった。会場もあまりウケてなかったような気がする。頭でっかちのものなんて別に見たいわけではなかった。もっと体で作られたものを見たかった。コメディは特に。
すっ太郎が面白いと思うことを思う存分注ぎ込めたんじゃないかと思う。いや、確証なんて何もないけど、そういう風に感じた。だから、笑いがあまりなかったということは、真っ向勝負して負けたということだと思う。

青月ごっこ

まず第一声目から引き込まれた。今大会の中で一番聞き取りやすくて、彼女が喋っているだけで心地よかった。
発達障害というものに真っ当に向き合っていて、また観ている者に向き合わしていて良かった。表現は全然洗練されたものではないと思ったけど、その洗練されてなさだって誠実にあろうとしているのがわかるから好感を持った。伝えたいことが勘違いされて伝わる可能性があるよりか、丁寧過ぎるほど丁寧にする方が良い。
役者の三人が三人とも、舞台上で気負っていたり臆したりすることなく、本当に楽しんでいるように見えたのが、教育的なうるささや死にたいと思うほどのしんどさを消していて良かった。
ビデオの登場人物を「自分だ」と思うシーンは、それまでに人物達に共感できたり理解できたりしているから確かに救いがあった。

プロフィール

プロフィール
努力クラブ代表、脚本、演出。1987年生まれ、28歳。佛教大学劇団紫OB。

事前コメント
僕は第一回目の京都学生学生演劇祭に参加していました。それまで競いあうということをしたことがなくて、とても楽しかった記憶があります。みなさんが楽しみながらも真剣勝負をしている姿を楽しみにしています。完成度が高いものというよりかは、僕には思い付けないようなアイディアや、学生らしい切実なものを見たいと思っています。

ツイッター
@goudareo

一人静氏

総評

 全団体の公演を観て思ったことは個人的に「面白い」と感じる団体が無かったということと、皆さんが「どんなことを面白いと考えているのだろうか?」という疑問でした。
 みなさんがそれぞれの考えをもって演劇をするのと同じように、僕にも自分の考えがあり、思ったことを感想として書いています。感想も公演と同じぐらい楽しんでもらえると幸いです。

劇団未踏座

 今回の公演を観て3人のこれまで生きてきた時間を感じることができませんでした。特に「未亡人」という設定を与えられた女性の言動が気になります。男2人が性欲について話し合うのに対し、女性の性欲について言及されることがなかったのが気になりました。また、冒頭で突如現れたレイプ魔に対して毅然と教育者的な振る舞いをする女性の登場人物は女性にそうした役割を求めてているようで一軒無邪気なようですが「それでいいのか?」とは思わされます。また結婚(と死別)、家庭内暴力、フリーター生活など、それぞれの人物が自分の人生を再会まで生きてきたにしてはそうしたことを一切感じさせないのも気になります。この3人のこれまでの時間の経過を、会話の中でもう少し示唆しても良かったのではないでしょうか。今回の舞台ではその欠如によりそれぞれの登場人物が、平面的で存在し難いものに見せていると思いました。方法によっては再会の喜びや、再び訪れる離別の重みがより生まれていたのではないでしょうか。

劇団なかゆび

老人ホームを襲った男2人の45分間の問答。今回の公演の中では言葉に対して地点を思わせる特徴的な発話がなされていましたね。その目の付け所は良かったです。ただ、地点がその特徴的な発話(地点語とテキストレージ)によって既成戯曲を解体し、新たな劇を立ち上げる手段として用いているとするなら、今回はもっと音楽的な、言葉を目立たせるような用法として使われていたのではないかと思います。後半に大音量で流れる音や汗、唾を飛ばしながらの2人の主張はどこかラップのようで、音楽に流せてただライムを喋っているように思えました。台詞の批評性に比べそれを演劇として上演することに対して配慮があまりなされていないと感じます。また、2人の主張を直情的に露見させることによって、2人だけの世界に自閉するように思えたのも苦しかったです。しかしこの劇を上演した想像力には敬意を払いたいですし、今後の上演によって評価は変わっていくのだろうと思いました。

雪のビ熱

会話によるドラマが上手く表現された中盤は素敵でした。全団体を通して会話によってドラマが生まれているなと感じたのはここだけでした。指示語による省略、現代口語と間を上手く使えるのはコメディに対して真摯だからなのでしょう。なんとなく芸人をやっているからこそ映画も面白いと言われる北野武を連想したりもしました。またアニメのOP的な冒頭やオノマトペの要素をキャッチーに取り入れた前半、女子文化に批評的なのも好意的でした。ただ題材と構成についてはかなり再考の余地があると思いました。
 今回の公演を上演する上でアニメや漫画の文法を持ってくるのは前半のコメディパートにおいてよい表現手段だったように思います。やや典型的な人物像も、そうしたアニメ・漫画的手法との親和性があってこそだと思いました。しかし女子文化に批評的な姿勢を取りつつ彼氏の存在に固執することや「結婚=幸せ」というラストは気になりました。一度は離散しかけた友情が修復をする物語でしたが、この物語の外には結婚やそれぞれの人生によって会えない時間は確実に増えていくと思います。今回はその直前の残された幸福な時間を切り取ったと言えばそれまでですが、男なんか捨ててあらゆる女子文化に批評的な無敵の女子3人組の物語でも面白いかもしれません。友情がこの物語の主題ではありますが、別に演劇でいい話をする必要性もないのでもっと攻めた3人を見たいなと思います。

劇団月光斜

母と息子の物語、そして自意識の物語でもありましたね。母と息子という主題、特に現代における母親と息子の関係(多くは子離れできない過干渉の毒親の物語)は近年欧州の映画などでよく目にする主題でもあり、そこには「普遍」であると信じられてきた家族関係に鋭いメスを入れる静かな批評性が存在します。しかし今回の作品はそれらとは一線を画す批評性の欠如があるのではないかと思いました。まず気になったことに、この作家が何をよいと考えているのか?と言うことでした。例えば、レイプによって望まない妊娠をした母親が出産する場面において、それまでの絶望的な状況から一転して感動的なクラシック音楽に合わせて子供の出産を無性に喜ぶという一連の場面などがそうです。ここでは「出産は喜びであり、子供は愛すべきもの」と言う思想が(意図せずとも)演出と白熱する演技によって見て取れました。また個人の内面を3人の役者がそれぞれ代弁して語る演出も思考を相対的に語るというよりも、単に激情にかまけた直線的な人物像にすることに積極的であるように思えました。そういうこともあり、この作品の中において各々の悩みは自意識の範疇を出ず、盛大なオナニーと思わずにはいられませんでした。また自意識によって母親にナイフを突き立て、そして死を選ぶという一連の流れもナルシシズムの極みとして、作家のエゴとしか消化できませんでした。

劇団べれゑ

「遠方から大掛かりな舞台セットを持ってきた団体に手厳しいコメントをよこすなんてそれでも人間かよ」とは思いながらも、ベれゑも気になることが多い内容でした。回転する舞台、電灯、幕、スモーク、照明、映像など演出の手数は多い舞台でした。しかし、そうした演出が全体としてうまく機能しているかと言うと、そうではないと思いました。そうした中でも、闇鍋のシーンなどで炬燵から次から次へと小道具が出てくる演出や影絵などは視覚的にも豊かで期待の膨らむ瞬間だったと思います。しかし、それぞれの演出がそれ自体で完結しているように思え、また明確な意図があるように思えず(もしくは有効に作用していない)全体的に散漫な印象を与える公演でした。1つ1つの細部には魅力的な要素も多いので、多くの作品に触れより良い公演をして欲しいなと思いました。

劇団西一風

空間の把握が良かったです。舞台下手に運動性を持つ機構があり、机と観葉植物だけのシンプルなセットだけで今回の舞台設定をうまく表現していたと思います。全上演団体を通しても、こうした団体は他にはありませんでした。いいなと思ったのは、学生の劇作がこの舞台設定を選んだということでした。他の団体が身近な人間関係(多くは友人や家族)を描くのに対して匿名の工場での、しかも単純労働を描くというのが興味深かったです。カフカの「城」を連想する今回の内容ですが、「ピントフ」という言葉を巡り展開する今回の不条理な世界はやりようによってはどのような方向性にも伸ばしていけるので、今後の展開に期待したいなと思います。

遊自由不断、

「花満たし」と言うタイトルから「これは射精のメタファーか?」と邪推したら、その通りで驚きでした。全団体を通して最も不快な内容だったのですが、それは「作品がそうした内容だから」ではなく作家の眼差しがほんとうに気持ち悪い、看過しがたい内容だと思ったからです。具体的に言うと、この公演を観ている限り「悲劇的な話なら不条理劇として成立する」以外の意図は感じませんでした。またそこに批評性の存在も見受けられませんでした。それだけで終わればいいのですが、今回の内容が最悪だったのは男性2人が女性をゲームとして「墜とす」と言う表現があまりにも無邪気に描かれていて、男性性の露悪的な暴露以外の何ものにもなれていなかった(もしくはくみ取ることができない状態になっている)のではないかと思います。例えこの内容だとしても、表現方法によって舞台芸術として消化できると思うのですが、舞台上の映像による細かい暗転による幾度もある中断、唐突に挟み込まれるメタなギャグを込めた本筋に関係のないダンスなど、評価し難い要素があまりにも多いです。

ソリューションにQ

去年色々あった(割愛)ジョルポン君の逆襲の公演でした。昨年は時間がどんどん巻き戻るクリストファー・ノーランの「メメント」の様な内容でしたが、今年はSF的な要素を取り入れた内容でした。個人的に悲しかったのは次の展開があまりにも予想できてしまう裏切りの少ない展開が気になりました。確かにその中で「っぽさ」を持った登場人物が多く登場することによりテンポと笑いを起こしているとは思うのですが、なにぶん期待を裏切られることがないので、45分間という時間の中では退屈してきます。また、SFの設定を語ることに終始するあまり、観客が想像する余地をほとんど言語化するので、ただ舞台上を眺めてしまうだけになっていたのは残念なように思います。あまりにも「わかりやすい」舞台になっていたのではないでしょうか? 人生は誰も説明してはくれないですし、全く理由がわからないまま謎は謎のままであることがほとんどではないでしょうか。そんなジョルポン君にはデヴィッド・リンチを見て「ああ、こんなによくわからなくてもいいんだ」と感じて欲しいなと思ったりしました。マルホランド・ドライブ、いいよ。

劇団速度

劇団速度は舞台芸術研究会主催の劇団で、僕自身名ばかりに籍を置いていた経緯があります。そんなことを踏まえた上で今回の劇団速度の上演がどうだったかと言うと、積極的に面白いとは思いませんでした。「なんかすごい」「迫力があった」等と言った感想を貰っても、恐らく本人たちにとっても、他のお客さんにとっても、ちっとも嬉しくないと思うので、それ以外のことに関して述べます。まず、今回の戯曲ですが、聞いたところ舞台上手に射影されていた文字(紙にするとA4で1枚ぐらいの文量)しか台詞が無いそうです。これはすばらしい。なぜか僕を含め、多くの人が演劇を人の会話の集積によって成り立つという前提に疑いを持つことが(あまり)ありません。そんな中で沈黙劇、もしくは無言劇と言うスタイルで「学生演劇祭」に臨む心意気は挑発的であり、また演劇と言うジャンルに自覚的な視点が伺えます。これもすばらしい。ただ、だからと言って今回の上演を褒めることができないと思ったのは、それらを踏まえた上で、今回のこの戯曲が果たしてこの演出で良かったのだろうかと考えたからです。例えば多くの人が感じた(であろう)「客席から役者が見えない」あるいは「上手にある射影してある文字が見えない」ということについてですが、単純な「見える/わかる」とは別に、その演出ではなくても他にやりようがあったのではと感じました。終盤で上手に射影されていた文字が中央の壁に映し出され、3人の役者が舞うシーンは(個人的に)キューブリックの「2001年宇宙の旅」の暗黒の近未来を連想させ、演劇祭の中でも屈指の美しい瞬間でした。確かにあの瞬間を引き出すためにはそれまで中央に映像を射影しない方が良かったかもしれません。しかし絶対にそうである必然性があるとも思えませんでした。もはや詩と思えるほどの言葉を使う上で、役者を舞台の低い座標に固定するよりも、1人、ストイックに尋常ではない体の動きをしていた男性が無言であるからこそ生み出すイメージがとてもいいなと思っていたので、沈黙であることの利点を活かし、運動による様々な動きを喚起させる舞台がみたかったなと思いました(これは趣味の問題でもありますね)。今回はどうしてもコンパクトにまとめていた印象でしたが、感傷的だったり、陽気だったり、退廃的だったり様々な方向で再演可能なので、次の上演で何が出るのか楽しみではあります。

劇団紫

この公演を観ていて演劇の単純な喜び(2人の人間が話す、笑う、動くなど)を思い出していました。それほどまでに演劇としての構造は単純であったということでもあります。内容との兼ね合いもあって、作者は恐らくいい人なのだろうなとも考えました。まるでポジティブカレンダーを眺めているようです。トゥモローを歌う木の精なんてロマンチックですね。ですが、そうしたある種の「純粋さ」は無防備であり、時間の持つ残酷さに対して無抵抗にも思えます。また、それが設定の重さを「耳障りのよい話」にしているのですが、ある意味それは理想郷を求める姿勢であり、現実からの逃避にも思えます。そんな中で、個人的に嬉しかったのは貧弱そうな男の子が普通に悩み、普通にどんくさそうで、全然カッコよくない姿をきちんと描いていたのが良かったです。「なんだ、お前そんなことか」と思うかもしれませんが、他の団体の男性の登場人物に比べて、この登場人物は圧倒的に「持たざるもの」でした。何も持たないものが、むき出しの、ありあわせのもので、どうにかしようとする、そこはとてもリアルでした。無自覚にやってらっしゃったかもしれませんが、こういう姿は忘れてはならないことではないかと個人的に考えます。

幻灯劇場

適当な言葉を安易に投げるのが一番よくないと思ったので考えたことを本気で書きます。まず、昨年の演劇祭で初めて拝見した当初から野田秀樹への類似がみられ(戯曲もそうですが)ました。それ自体はとてもいいのですが、野田特有の「言葉遊び」について意識的に使用しているかどうかが気になります。村上春樹が「オリジナリティはそれを自分で更新できるからオリジナルなんじゃないかな」みたいなことを言っていて、野田作品を観ているとそうしたことを感じるのですが幻灯劇場の演出からは今、自分たちが使っている「言葉遊び」に対して意識的に使用していると思わせるものを感じられません。もしこの「言葉遊び」を使わなくても今と同じような台詞の立ち上がりや盛り上がりを作ることができるのだろうか?という疑問が残ります。また、個人的に最も気になったのはやはり「ヒトラー」「アンネ」「民族」「差別」と言ったモチーフを何故持ち込んできたのだろうか?という疑問でした。この戯曲は90分の作品を45分にまとめたというお話を聞いたので、もしかすると今回の上演時間の中では語れなかったのかもしれません。だからこそ今回の上演の中で作家がこのモチーフを選んだ理由はわからなかったのかもしれません。しかし、僕にはどうにも誰もが知っている悲劇について単純に「みんながそれを悪だと批判するから自分も悪だと非難しよう」というような無責任な姿勢があるのでは感じました。僕がここで言いたいのは「差別」や「民族」などの言葉を単純にファッションとして消費しているのではないだろうか?と言う危惧であり、語る姿勢の脆弱さだと言えます。例え、本人に「語るべき理由」があったとしても、今回の作品の中で海外の歴史を持ち出す必要があったのかはわかりませんでした。もし、凄惨な過去の悲劇の言葉だけを借りていいように作品を作っているなら、それはとてもあさましい感性だと思います。チェルフィッチュの「三月の5日間」が面白いのも、日本人で、いま日本にいて、フツーに生活していて、それと同時に世界に存在する問題から始める視点の切実さであり、今作に欠けていたのは「私以外の誰かがね」から始めてしまう設定であり、まず「わたし」から始まり、そこから何がどのように見えていて、それから何を思うのか?と言う視点なのかもしれません。

スーパーマツモト2

演出のすっ太郎さんとは個人的に知り合いなのですが、今公演はそんなすっ太郎さんを眺めているような舞台でした。まず個人的にこれはいいと思ったポイントがいくつかあって、それについて最初に述べていきたいと思います。冒頭にある労働者の朝礼があったと思いますが、あの情景を演劇で見たことがなかったなとまず思いました。ギャグとして観ることもできるとは思いますが、描き込まれている情報に「これは存在する」と思わせる切り取られ方がなされていました。基本的にギャグがエクストリーム過ぎて笑っていいのかと試され、また引用の連続で観客が鑑賞の姿勢を決めかねているうちに圧倒的な熱量で流されてしまう今作なのですが、こうした背景に冒頭の労働者の視点から始まり、資本主義のさなかでブルーカラーとして働きながら思想、政治、芸術に傾倒していく1人の人間を意識せずにはいられませんでした。そうした意味でこの劇はとても個人的であり、直情的ではありながらも動機や題材は切実だと思わされました。この「1人の男の視点」を観察するもう1つの視点が加わることによって、作品は更なる変化を生むと思います。次回作こそが観てみたい。

劇団月光斜

ドラマを立ち上げるだけの会話が成立しているとは思えませんでした。そして同時に人を惹きつけておくだけの配慮がなされているとは思えませんでした。設定に終始し、動きのなくなったエチュードのように感じました。恐らくですが、皆さん手探りで演劇を始められたのだと思います。僕にもこのような時期がありました。今回の公演を観ていて、僕が所属していた劇団で最初に上演した戯曲と今回の作品が同じ設定を持つ物語であることに気が付いて少し感傷的になりました。演劇祭のどの団体を観ても思いましたが、今回上演した次の作品がやはり観たいと思わされます。今回貰った多くの言葉を元に、これから何を考えて、その結果どのような公演をしていくのかが楽しみです。例え自分の満足のいかない反応があったとしても、作り続けて欲しいなと思います。

青月ごっこ

まず魅力的な女優さんがいましたね。これは素晴らしい。最初の時計の細部から始まり、登場人物の過去を振り返りながら、最終的に登場人物が直面している「発達障害」というワードに持って行く構成は演劇作品と言うより教育的な、意図を先行させたものに感じました。それでも嫌だと感じないのは誠実に語ろうとする意思を感じ取ることができたからかもしれません。ただ、勿体ないのは意図が先行するからこそ、ある意味この作品はこれで完結していると言えるからです。この作品を観てここから何か異論や想像を挟み込む余地はあまり残されてはいないのではないでしょうか。それは結果として他人を受け付けない、排除しかねないでしょうか?演劇作品として今回の内容を1度観て「いい話だったね」と消費させない為にも、描き方に工夫を施すべきではないでしょうか。余談ですが、僕の書く戯曲にはゲイの登場人物が度々登場します。基本的に彼らに「自分はゲイです」と言わせたくないと僕個人は思っていて、劇中でも他人がゲイをゲイとして扱うことも描きたくないと思っています。それは何故かと言うと、特殊な存在として彼らを描くのではなく、彼らも普通に暮らしていて、普通に男の友人や同僚、家族がいて、いい人ばかりでなく、矛盾している人もいるなど、ゲイであることを相対的に描くことで、他人が入り込むことのできる余地を開けておきたいと考えるからです。そうして初めて「対話」みたいなことは起きるのかなあと考えたりもします。話がそれましたが、構成やどこを切り取って上演するかなど、まだ考えるべき点は数多くあったと思います。これからも作劇を続ける中でこの誠実さを持ちながら取り組んでいって欲しいなと思います。応援しています。

プロフィール

プロフィール
フツーのリーマン。元劇団ACT。
京都学生演劇祭(2014,2015)、第1回全国学生演劇祭(2016)に参加。
難解で陰気な作風らしく人気がない。好きな映画は娯楽超大作。

事前コメント
まず、学生の演劇が面白かったらフツーにヤバいと思います。
それと同時にそもそも学生の演劇が面白いとかあり得ないとも思っています。
これはそういう姿勢を大人にも求めているということでもあり、才能への淡い期待でもあります。
レポーターをするにあたり、謝らなければいのは自分がこの機会をとても個人的な営みだと捉えていることです。
『自分が今、何を面白いと感じるか?そしてそれは何故か?』
この距離感からしか自分には始められないかなと思いました。
レポートは点ですが僕自身は連続して生きているので、
『コイツはこんな風に考えるんだな』とか思いながら笑って貰えたら幸いです。

丸山交通公園氏

総評

今年も楽しまさせていただきました。
昨年よりもコメディ勢が減じたのが残念でした。自身の内面の吐露を直接的に表現した作品が多かった印象です。
魅力的な役者は多かったように思います。
来年も楽しみにしております。

Aブロック

Bブロック

Cブロック

Dブロック

Eブロック

プロフィール

プロフィール
丸山交通公園です。丸山交通公園ワンマンショーという団体のコメディアンです。
第一回京都学生演劇祭に参加しておりました。
前回演劇祭でも観劇レポーターをつとめさせていただきました。

事前コメント
今回の演劇祭でも学生の皆さんの料簡や技術や情熱や自己顕示が渦巻くのでしょう。
一年一度のお祭りを観劇レポーターとして皆さんと一緒に楽しもうと思います。


丸山交通公園ホームページ
http://maruyamazukan.jimdo.com/
感想ラジオ
http://maruyamakoutuukouen.seesaa.net/s/

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劇団未踏座

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劇団なかゆび

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雪のビ熱

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劇団月光斜

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劇団べれゑ

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劇団西一風

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遊自由不断、

QQ.pngQQ.png

ソリューションにQ

そくど.pngそくど.png

劇団速度

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幻灯劇場

紫アー写.png紫アー写.png

劇団紫

青月ごっこ.png青月ごっこ.png

青月ごっこ

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劇団月光斜 Team BKC

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スーパーマツモト2